まだ私の連載に興味持っていただける方がいますので、 日本近代史の新しい見方などが見つかっ…
「昭和史サイエンス」の連載が、終わりました。 これからもう一度原稿をブラッシュアップする…
昭和20年8月 日本政府は最終的に、ポツダム宣言を受諾します。ただ受諾する方向に傾いたの…
ポツダム宣言 1945(昭和20)年7月26日、イギリス・アメリカ・中華民国の名において、…
昭和20年7月 ソ連の仲介による早期戦争終結の方針は決まったものの、その後の動きは遅いも…
昭和20年6月 昭和20年6月8日、戦争終結に反対する強硬派が反撃を試みます。天皇も臨席す…
昭和20年5月 5月7日、日本の同盟国であるドイツが連合国に無条件降伏し、ヨーロッパでの戦…
鈴木貫太郎内閣の発足 小磯国昭内閣が倒れ、後継首班には枢密院議長の鈴木貫太郎が選ばれま…
「近衛上奏文」を真実と考える研究者 前述したように、「近衛上奏文」は正しいと考える研究…
「近衛上奏文」については従来、研究者の多くがその信憑性を疑っていました。単なる与太話にす…
近衛上奏文 小磯国昭内閣期に、もう1つ重要な出来事がありました。昭和20年2月14日、近衛…
小磯内閣と日ソ連携 小磯国昭内閣は昭和19年7月に発足し、翌年4月7日をもって総辞職します…
開戦以後の東条内閣 真珠湾攻撃は、戦術的には大成功でした。アメリカ太平洋艦隊の艦船に大…
「海の関東軍」であった連合艦隊 木村聡・別府大学専任講師の『聯合艦隊』(中公選書)が注…
対米開戦の口実だったハル・ノート 長谷川毅・カルフォルニア大学教授の『暗闘(上)』(中…
東郷外相とハル・ノート 東郷重徳は戦後、獄中で執筆し、自伝的回想録『時代の一面』(中公…