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名前が残らない勇者達
1991年(感覚的にはもっと前だったような気がする)、バブルが崩壊して
世の中は暗い雰囲気に包まれていました。
概念が変わる瞬間を体感させてもらった(子供だったので当事者意識はなかったけど)貴重な時間でした
私の父は、今年75歳
もろ団塊の世代(私は団塊ジュニアの最後の世代です)
高度経済成長期の猛烈サラリーマンでした。
大阪に本社がある会社の西日本営業所を作るために、昭和50年福岡に帰ってきました
1人ボッチだったので、まずは事務所を借りて
タイムカードを買って、自分で押して自分で計算して自分で本社に送って・・・
さみしいのでまずは仲間を増やそうと、電話購入・机購入
募集をかけて、事務兼電話番兼留守番の事務職の方を雇用
仕事取ってこなきゃいけないので営業職の方を雇用
少しづつ仲間を増やして西日本営業所から西日本本部にしていき
上司も本社から来てくれて大きくなっていったそうです
九州のメンバーはほぼ父が面接して会社に入ってもらったメンバー
思い入れが強すぎる父は、部下の恋のキューピッドになったり
(同じビルに入ってる他の会社の女性に恋した部下の為に、なぜか父が一緒に飲みに行き部下のプレゼンをしまくって何とか付き合ってもらい、結婚までこぎつけ、仲人もしてました)
人生相談にのったり、家族はほったらかしでしたが(週5で飲んでることもよくあった)
猛烈に働いていました。
そんな頃にバブル崩壊を迎えたのです・・・
上り調子の会社で毎日猛烈に働いていた父
しかし、バブルの崩壊が始まってしまいました。
バブル崩壊とともに会社から父に与えられた仕事は
自分が面接して入ってもらった社員の首切り
家族の状況とか本人の人柄とかも知っている
話したことがない人はいない・・・。
交渉したけど、会社にも今体力がない
切らざる得ない状況
かなり葛藤しましたが、自分が断って何の思いもない本社の人事に任せたら
どんな最後になるか分からない!
出来るだけいい条件を会社に認めてもらって、皆の最後を守ろう!
と同時に次の再就職先もいろんな取引先とか知り合いに頭を下げて探そう!
かつてないほど父は燃えました!!
益々家に帰ってこなくなった父
普段なら犬に父の悪口をブイブイ言ってる母もおとなしい
プライドが高い父は弱みを女子供になんか見せたくない人だったんです、なので詳細は母も知らなかったそうですが
そこは夫婦、さすがののんきな母も察した!
母は看護師として働いていましたが、この時期節約の鬼と化していました(父がいつ仕事辞めるって言ってもいいように蓄えていたそうです、もちろんちょっとずれたことしてましたが)
地獄の九州首切りの旅を1人でやり遂げ、黒々していた髪が一気に白くなり始めました
かなりのストレスだったんでしょう
毎日胸ポケットに辞表を入れて、社長と刺し違えるつもりで(武士か!)会社に行っていたそうです
首を切った全員が再就職するまでお世話をさせてもらった父
最後の1人が再就職したときやっと辞表を捨てました
1年半の時間がかかりました
私の父も特に人格者とか、特にできる人って訳ではありません
普段はやたら声のでかいお節介な子供みたいなおじさんです
そんな父でもやり切った、この時期に全国に父のような名もなき勇者達が沢山いたから今も多くの会社が無くならずに踏ん張ることが出来たのかもしれませんね
日産の大リストラのニュースを見て思い出した父の話
20年前父のような大人達が守ってくれた社会を次は私たちが
次の世代の為に守っていきたいし、ニュースになる事もなく表には出ないけど頑張ってくれている大人がきっと今回もいると思うんです
そんな大人の皆さん、家族に心配かけたくないからって自分だけで抱え込むのはやめて、せめて体だけでもリラックスしに行ってくださいね