フェイクフンドシを脱ぎ捨てる時が来たようだ
他人のフンドシで相撲を取る(他者のものを利用して利益を得る)ことについて
他人のフンドシで相撲をとって勝っていく人たちではなく、他人のフンドシ又はそれに似たフェイクフンドシをシメて喜んでいる人たちのことが、時々、いや最近は頻繁に気になっている。
なぜ、自分のフンドシをシメないのか。
フェイクフンドシで上機嫌になるためか?
次は自分のフンドシをしめるのか?それともまたフェイクなのか?
そんな私の疑問に、友人らはこのように応えてくれた
1「他者の人生にちょっとだけ乗っかり続けることで満足する人たちもいる」
2「成長する価値や能力がない自分を見たくなくて、他者の成長に依存する」
3「あなたは自分に投資したら自分に返ってくることを知っている。それを知らない人は他者に投資する」
少し話をそらす
私は独創的な人を尊敬するところがある。
「ケーキがなければケーキを求める」姿勢が好きだ。
独創性を生きることの素晴らしさについて、なぜかとてもよく理解していると自負している。
私と話すと元気になる方々は、この独創性が刺激されるからかもしれないと思っている。
事の大小ではなく、その姿勢がとても美しい。
その片鱗が見えるとウキウキする。
で、話を元に戻す。
この独創性への尊敬が強さが、人に嫌われることもある。
フェイクフンドシを好む方々に取っては、いい迷惑だろう。
そもそも、”フェイク”とか言ってる時点で、甚だ失礼なのは私のほうだ・・・
原因は私のフェイクにあると覚悟した
私は今、フェイクフンドシを脱ぎ捨てる時が、そろそろ来たことを受け入れ始めている。
自分のフェイクに向き合うことが怖くて、他者のフェイクが気になっていたのだろう。
今回のこの大胆な変化は、意図的に緻密に行っていく。
このフェイクを脱ぎ捨てることは、未来への重要なポイントになる確信があるから。
舵をスムーズに切り替えるために、粛々と動く。
波をよみ、緻密に大胆に、アクションし続ける。
舵の切り替えは想像よりも長期戦。
悩んでる暇はない^^