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石内都の書籍を数冊
「石内都展 見える見えない、写真のゆくえ」を開催という話を聞いて関心を持ちましたが、この状況下展覧会の鑑賞旅行には出かけられなさそうでしたので、図書館で書籍を三冊見繕い読んでみました。
・モノクローム
・都とちひろ
・写真関係
蔵書の関係で近所の図書館では上記の3冊と巡り合うことができました。
この記事を書いているのは主に2021年4月頃のことで、一度回帰が延長されたにも関わらず、新型コロナウィルス感染症が広がっていく状況に改善の兆しはなく遠方から出向くことはできないと判断しました。
しかし2冊目「モノクローム」を読み始めたらますます作品見たくなってしまった。
— 倉本大資@… (@qramo) April 10, 2021
幸い会期が長いので、早く気軽な移動が出来るよう祈ります。https://t.co/g6VOFCWJcg#石内都 https://t.co/6PjZjjnBbb
展覧会について関心を持ったのは彼女の「ひろしま」シリーズが展示されているようだったからです。私にとって広島は幼児期を過ごした場所で、はっきりした記憶や具体的な思い出があるわけではありませんが、海の近い生活や、海岸沿いの独特な匂い、日常生活に船が介在することなどうっすらと記憶に刻まれているまま、よその土地で小学生頃になるといわゆる原爆について学習を通じさらにその土地の歴史を知ることとなりました。
私は小学校も転校が多かったのですが、どの学校の図書室にもヒロシマに関する写真集や資料は所蔵されていたこともあり、自分の中で無視できない存在となったような気がします。
気になった言葉
これらの本を読んでいて、何度か登場する「暗室作業は性行為に似ている」という言葉が最後まで気になりました。私は学生時代暗室で印画紙にプリント現像する体験をしたことがありますが、怖がりの性格からか、だらしなく深夜に学校の暗室へ向かうからか、密室で一人という恐怖の感覚のほうが強く残っています。そうした作業を好んでする友人も多くいましたが、私は怖かったので授業の課題を製作する数回の経験にとどまりました。
最近はデジタルで撮影して名ばかりのRawデータの現像や、レイヤー合成の際にフィルム焼付のテクニックからくる覆い焼きだとかスクリーン合成などの機能を使って画像を操作しています。フィルムの原体験のない私達に果たしてそうした機能ラベルは適切なのかわかりませんが、カメラが記録したデータから思い通りの画像を得る楽しみはようやく覚えたところで、この言葉によって暗室の愉しみに触れてしまったわけです。
今現在フィルムカメラの存在意義が問われているのか、いよいよ中古市場で破格な状況ですが、それも後押ししてフィルムカメラでの撮影を少しずつ楽しんでいます。さらにこの言葉の印象によって撮影だけではなく暗室でのプリントについても改めて経験してみたくなりました。
”性行為”という言葉はいろいろな状況を連想することができますが、著者の石内都と私では性別も年代も異なるため、私なりの勝手な妄想を抱いているのかもしれませんが、本に記されている暗室でのフィルムや印画紙を使った写真撮の丁寧な対話はとても濃密やり取りで、当事者にしか知り得ない”秘め事”という言葉を連想しました。
写真の焼付は機械的な作業なのかと思いきや、暗く写したフィルムを適切に秒単位で露光させることや、明るく写りがちな空の部分を手などで遮り”覆い焼き”すること、ロールから切り出した弾力のある印画紙との格闘(むしろ戯れか)は確かに言葉通り体当たりの肉体関係だなと納得がいきます。
今回彼女の作品を直に目にすることは適いませんでしたが、いつかその暗室での秘め事を経た作品を見てみたいものです。