「うたうおばけ」を再読して気づいてしまった

来週、彼氏と旅行をする。目的地は盛岡。
私の誕生日に合わせて連休を取ってくれてたみたいで嬉しいなって思う。

盛岡は前から行きたいと思っていた場所で、理由は作家のくどうれいんさんが大好きだから。

大好きな理由は身バレに繋がるので割愛するけどほんとに好き。れいんさんの書く日本語は力強くて大らかで健やかだなっていつも思う。

そんなれいんさんの住んでる盛岡に行けることになって「エッセイ「うたうおばけ」を再読した。

しょっちゅう読んでるから再読もなにもって感じなんだけど、体感としては半年ぶりくらいに読んだのかな。少なくとも転職が現実的になってこのnoteを始めてからは読んでいなかった気がする。

どの話も大好きなんだけど、このnoteのテーマに絡めて書くならば2つ。転職に直面して、これまでも読んでいただろうにハッとしてしまった。

「きぼうを見よう」

「恋したひとと暮らしたい」すごく分かる……。
れいんさんがどう思って書いたかはわからないけど、私の場合は「結婚したい」よりも「恋したひとと暮らしたい。生活をしたい。」っていう方がしっくり来る。しっくりき過ぎて、この一文には頷き過ぎて頭がもげそうになる。

「あこがれの杯」

以前一目惚れした杯を臨時収入で買ってしまおうかとお店に向かったれいんさん。

「あこがれの杯」

でも売り切れだった。
「いつか誰かとふたりで暮らすこともすっかり間に合わなかったのだというきもちになってしまった。」単なる品切れではなくて、そういう自分の理想ごと無くなってしまったと錯覚すること、よくある。「わたしは呆然と、硝子棚を透かしてまるっきり人生のことを考えていた。」私は彼氏と暮らしたいがために何も決まってなのに仕事を辞めた人間だ。本来の私はもっと慎重で石橋を叩いて叩いて渡らないタイプなのに。部署が無くなること=チャンスだ!と思って飛び込んでしまった。辞めると上司に伝えてから、ガタガタとエルの調子が悪くなり、長くないなら一緒にいたいと転職活動を中断した。転職活動を再開するも、いい求人は少ない上に慎重になってしまい応募できない。彼氏は仕事を変えたい一緒に住みたい、と言いつつ本腰を入れた転職活動をしている様子はない。(無職の私ですら本腰を入れてないんだもん、そんなこと彼氏に求めちゃいけない。)彼氏は優しいから私に同調してくれたけど、本当は一緒に住みたくないのかもしれない…まずは私だけでも転職しなきゃ…冷静になるほど、八方塞がりであることに気がつく。

そもそも私が転職決まったからって一緒に暮らすことにはならないのだ、お互いにお互いを思って転職しないと一緒には住めない距離にいる。

硝子棚の前で立ち尽くしたれいんさんと同じ気持ちでいる今、そして状況的には私のほうがよっぽど悪い。

私も「あこがれの杯」買えるようになりたいんだよ本当に。

「うたうおばけ」を再読して気づいてしまった、私も「恋したひとと暮らしたい」という気持ちと今の状況の脆さについて。

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