心の隙間を埋めてほしい人に出会った
<バーアテンダント11>
恋がさめて、愛がやってきた。そして、秘密が生まれた。
クリント・イーストウッド監督「マディソン郡の橋(1995)」に描かれていた。
終戦直後アメリカ兵と結婚した、イタリア人女性フランシスカ(メリル・ストリープ)は、アイオワ州の農家に納まっていた。
彼女が夢見た”着飾った人々がNYフィフス・アベニューを笑顔で歩いている”アメリカではなかった。
人見知りの多い片田舎では”戦争花嫁”の母親は、お客様扱いされていた。
そして、反抗期の娘には、露骨にさげすまれていた。
クルマで10分、20分離れた隣人とつきあうよりも、ラジオでオペラを聞きながら、食事を作り、掃除、洗濯、庭の手入れをして、夕暮れに夫と子供たちを迎える異郷の日々だった。
結婚して何年このようなことを続けているのか、いまや思い出せないくらい永遠の過去のような気がした。
しかし、変化は起きた。
ナショナル・ジオグラフィック誌のカメラマン、キンケード(クリント・イーストウッド)が、グリーン色の1960年型GMのピックアップ・トラックで通りかかり、彼女に道をたずねた瞬間に、すべてが変わった。
イタリアの片田舎の彼女の出身地にまで、彼は訪れている。自由に世界を飛びまわっている男に、惹かれた。
フランシスカは、彼が探していた”ローズマン・ブリッジ”の案内を買ってでた。
車の中で、キンケードが差し出したタバコにむせることなく吸っていた。
待っていたような、甘美な背徳の匂いすらした。
いつもと違う自分は、昔のありのままの自分だったのかも知れないと思った。
今はひとり。夫と子供たちは、4日間の小旅行に出かけている。
フランシスカは、彼に撮影中の宿を提供することを決めた。
そして、4日間のふたりの出来事は、鍵をかけた日記にしるした。
4日後、ステート・フェアという州のお祭りから帰ってきた夫と子供たちを迎えて、フランシスカは、何も起こらないもとの生活にもどった。
その後、夫が亡くなり、子供たちが独立し、キンケードへの愛を、このまま墓場に持っていくつもりだった。
ところが、夫の死亡から3年たったある日、”ローズマン・ブリッジに散骨してほしい”と、キンケードの遺骨が、親近者から送られてきた。
ふたりが4日間過ごしたあの場所に、キンケードが戻りたかったと知って、
フランシスカの心はゆれて、ときめいた。
5本の指の繊細な触感で、いとおしくキンケードを感じながら、スローモーションのように散骨した。
そして、遺骨とともに送られてきた彼の大切なカメラや、ナショナル・ジオグラフィック誌や、ふたりの写真は、彼女の心に違う風をふかせた。
フランシスカは、自分の骨もキンケードの骨のそばに眠らせたいと
願うようになった。夫の墓石の隣ではなく。
黙っていたことが、夫や子供を傷つけない”美しい嘘”になっていたが、
やはり罪だった。
良心の居心地も悪い。
遺書の中で、フランシスカは、子供たちに正直に告白し、散骨を懇願した。
子供たちが、目を疑った写真があった。
彼女が肌身離さずつけていた、敬虔なキャソリックの十字架のネックレスは、
キンケードの胸元で静かに輝いていた。
写真を通して、初めて見るフランシスカの春のような笑顔に、もはや母親ではなく、ひとりの女性として、既婚の息子と娘は見ていた。
姉弟は、フランシスカを許した。そして、自分たちのこれからの結婚生活で、このようなことがないとは言えないとも思った。
フランシスカの遺骨は、キンケードが眠っているローズマン・ブリッジのたもとに子供たちの手で散りばめられた。
<映画好きな人へのトリビア>
⭐️当初の監督はイーストウッドではなかった。ところが、前監督は原作を変えて、主人公をアメリカの片田舎の女性にしたいと主張。原作者と対立、降板させられた
⭐️”戦争花嫁”のイタリア人女性が、夫以外の男性に愛を感じながら、離婚を禁じられたキャソリックの戒律を守り、家庭にとどまった女性の物語を台無しにしないために、イーストウッドが監督になった。マカロニ・ウエスタンでイタリアにいた彼だから、わかる文脈が原作にはあった
⭐️フランシスカ役には、グレン・クロース、ジェシカ・ラング、イザベル・ロッセリーニなどがあがっていたが、監督のクリント・イーストウッドは決めかねていた。「メリル・ストリープに相談してみれば」というイーストウッドの母親のアドバイスに従ったところ、彼女が手を挙げた
⭐️ストリープは、イタリア主婦らしく太った。お尻が大きく、肩甲骨が隠れて背中が丸みを帯びるように、体重を5〜10キロ増やした。イタリア訛りの英語をマスターして、批評家に賞賛された