熱心なモルモン教徒の妻のために、総本山のユタ州ソートレイクに住んだ
<ショウファー4>
私は、ショウファー。高級リムジンの雇われドライバーだ。
いま、私は飛行機の中にいる。
ロスアンジェルスから、ユタ州のソートレイクシティに向かっている。
予定通りいけば、1時間45分後に着く。
今回の依頼主は、映画俳優のロバート・レッドフォード。
プロフィールは[1936年8月18日、出演映画「ブチキャシディ&サンダンスキッド」「スティング」「大統領の陰謀」「リバー・ランズ・スルー・イット」、監督作品「普通の人々」、製作作品「モーターサイクル・ダイヤリー」など、”サンダンス映画祭”創設者]
ほめ言葉がいくつあっても足りない。
顧客の下調べをして、長い車中のお話ができるようにと、弊社では社員研修で叩き込まれている。意外とプロフィール研究は楽しいので、その成果をお話ししています。
彼が創設した”サンダンス映画祭”は、30数年の歴史を数え、毎年1月中旬の10日間開催される。世界34ヵ国、5万人の参加者が、ソートレイクシティ郊外の、スキーリゾートに集まる。
でも、なぜ、ユタ州の小さな町で開かれるのか?
レッドフォードは、ふだんは仕事を奪い合っているのに、笑顔を浮かべ、陰で悪口を言ったり、嫉妬しているハリウッドの人々との付き合いを嫌っていた。
けいけんなモルモン教徒の妻が生まれ育った、空気の美しいユタ州ソートレイクの山あいに、40数年前、家を建てることにした。
ひと筆の光が、谷間に届き、春の野草がいっせいに咲き、香る。レッドフォード夫人が、ふたりのめぐり合いを幸せに感じるときでもあった。
まず、8,500平米を500ドルで購入。最終的には21,000平米の土地を取得した。
しかし、彼女の幸せは、冬の夕暮れのように、明るさがすっと消えた。
ハリウッドの事業家たちは、レッドフォードの実績と人柄に目をつけ、その土地の活用法を提案した。当時あまりかんばしくなかった"US Film Festival"の開催権を、彼にゆずった。
製作費に恵まれない独立系映画制作者にスポットを当てる映画祭にできるならと、レッドフォードは、映画祭を引き受けた。
広大な野や山は、映画祭の開催地として貸与し、彼の気に入っていた映画の役名”サンダンス”映画祭と名付けた。
これは、妻にとってまったくの想定外だった。静かなくつろぎの我が家が、にぎやかな祭典のオフィスに取り囲まれてしまった。でも、新しいプロジェクトに向かう彼の目の輝きを見て、そして、人々の役に立つならと、寡黙になった。
覚えておられるだろうか、レッドフォードの監督作品に「普通の人々」がある。アカデミー賞の作品賞と監督賞を得た。兄弟の一人の死によって、幸せな家庭の崩壊が始まる物語だ。
実は、この映画の悲劇は、レッドフォード家に起きていた。長男を生後2ヶ月半で、幼児死亡症候群で亡くしていた。「何か悪いことをしたのか」ずっと自問自答する毎日だった。
悪いことは重なる。妻とは、サンダンス映画祭が軌道に乗った1985年に離婚した。アルコール飲料も、コーヒーも、紅茶も飲まない敬虔なモルモン教徒の彼女には、喧騒は望むところではなかった。映画祭の成功を見とどけて、サンダンスを去った。
離婚の理由を問われても「いまでも、ふたりの仲は良好だ」と、レッドフォードは言う。
さらに、苦難は続く。肝臓癌の次男を58才で亡くした。レッドフォードは、自分の肝臓を切って、自分の生命の危険を告げられるまで、与え続けた。
彼の顔は皺だらけで、年齢より老けて見えるのは、息子のために肝臓を半分失っているためだ。
私は、メルセデスのスタート・ボタンを押した。「普通の人々」にこれから会う。