バイキングの妻は夫を3年待つ
タイムマシンがあれば、私なら、1400〜1600年の大航海時代へ。
タヒチあたりを発見して、おだやかな笑顔で過ごすフランス人冒険者になりたい。
女性には、700〜1000年のバイキング時代をお薦めしたい。寒さは平気という方なら絶好。
バイキングの社会は、その時代の他の国、社会に比べてとても民主的で、男女平等です。
それは、地球最北端の厳寒、作物の生育をはばむ凍土とか、男女を問わずしっかり共生する必要があったからにほかなりません。
タイムマシンで北欧に降り立つあなたのは、バイキング結婚適齢期の12〜15才になっていただきます。
結婚と言っても、あなたは10代。「あの男性がいい」と思ったら、お父さんにお願いします。お父さんと男性が話し合い、持参金の額が決まります。しかし、男性が他の女性からもプロポーズされていると、持参金の額もおのずとアップします。
ハイキング遠征で、兵士は、実は、琥珀(こはく)商人という役割も果たしていました。
琥珀は、”北欧の金(ノルディック・ゴールド)”と呼ばれ、太古の原生林の樹脂が、昆虫や空気を閉じ込めた貴重な宝石で、北欧で豊富に採れていました。
バイキングの武装は、貴重な交易物(琥珀、毛皮、トナカイの角)などを守るために、そして略奪戦(富裕層からの富の分配)にも役立ちました。
バイキングの最初の遠征は、目と鼻の先にある英国。農作物の備蓄をしている裕福な農家を多く見かけていたのが理由だった。また、英国農家に雇われた小作人のスエーデン人たちが流した「英国人は、パンにバターを塗って食べている」という噂を知らない北欧人はいなかった。さらに、北欧が飢餓に見舞われた時、農家が塀を高くして拒絶した恨みを忘れなかった。
英国への積年の恨みを晴らすバイキングは、すさまじい突破力だった。英国6つの王国の内、5つの王国を屈服させた。もはや英国は、バイキング王国だった。
しかし、抵抗が激しく、征服と維持は別問題だった。
バイキングの犠牲者が多数出たこともあり、他国への琥珀商人、売れない時は家族のための土産を調達する、あるいは過疎地の若いバイキングのための花嫁候補を物色したり、遠征目的が多様になった。
夫の遠征中は、妻は家事、育児、穀物の収穫、家畜の世話、夫の戦士服づくりなど一日中働きづめでした。
これだけ貢献をしてくれている妻ですから、世界で唯一、妻が離婚を申し立てる
権利が与えられていました。
(異論もおありかと思いますが)「3度以上暴力を振るった夫とは離婚してもいい」との法律がありました。
バイキングの妻は、戦士の妻でもあり「未亡人になると(当時としてはユニークな)夫の資産の相続権も公認」されていました。
若い未亡人に対しては、夫の資産もないので、資産家が重婚して救済。
バイキング社会の一夫多妻制が、セイフティネットになっていました。
ある日戦地から帰った夫が、数人の若い女性を家に連れてきても、一夫多妻制を心得た妻は、女性たちの家事の分担を決めて、家長としての役割を果たしていたようです。
また、夫が戦死したかどうか不明であれば「再婚は、3年待つ」よう定められていました。
1年の遠征で負傷したり迷って、必死に帰ってくる夫のためであり、それを信じて待っている妻のためでもあった。
あるいは、訪れたアイルランドの島が気に入って、妻と共に移住したバイキングの集団もいたようです。
バイキングの女性が亡くなった時には、墓の中を、彼女が愛した物で身の回りを飾ってあげたようです。
バイキングは、最後までフェミニストだった。
人生の半分以上を離れ離れの、二人の厳しい環境が生んだ、早世の北欧フェミニズムだった。
1066年、英国王軍によって、バイキングが征伐され、これを最後に300年続いたバイキングの旅が終わった。
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