ダスティン・ホフマンは、メリル・ストリープとの共演を拒否していた
<ムービージュークボックス12>
「結婚は、協調と忍耐だ」と人は言う。
「忍耐と感じないのが愛だ」とも言う。
映画「クレイマー.クレイマー(1979)」は、離婚からはじまる元・夫婦の話だ。
ダスティン・ホフマンは、いったん出演のオファーを断った。
彼自身が、離婚争議中で、とても離婚劇を演じる余裕などなかった。
一方、彼の学んでいる演劇法は、「メソッド・アクティング」。
登場人物の深層心理を洞察して、演技に生かす方法だ。
古くは、マーロン・ブランド、ポール・ニューマン、クリント・イーストウッド、ロバート・デ・ニーロ、ジャック・ニコルソン、アル・パチーノなど、列挙にいとまがない。
何をちゅうちょしてるんだ、実践する絶好のチャンスだという誘惑も感じていた。
そこに、「離婚の実体験をぶつけてほしい。脚本を書き直してもいい」というプロデューサーと、脚本家兼監督の言葉が追いうちをかけると、ひとたまりもなかった。
撮影現場では、入れ込んだホフマンは、端役の女優のセリフに幾度もなおしをいれた。女優は、「セリフをアドリブで何度も直されたのでは、演技に集中できない」と、2日で現場を去った。
ホフマンの相手役の妻候補には、フェア・ダナウエイ、ジェーン・フォンダ、アリ・マックグロウなど、名がすでにあがっていた。
メリル・ストリープにも声がかかった。彼女たちと競合するならと、オーディションに臨んだ。
しかし、ホフマンの猛反対で、ストリープが想定した妻役候補のオーディションではなかったことがわかる。
ホフマンは、「数ヶ月前に看病していた同居者と死別したストリープには、自然な演技ができない」と決めつけていた(自然な演技ができないのは、離婚騒動にあるホフマンも同様のはずだったが)。
その場で、ストリープは、妻役のオーディションに強引に変更させた。
そのとき、ホフマンは、ストリープの胸ぐらをつかむような圧迫面接をしたと、TIME誌のインタビューに、彼女は答えている。
脚本にはホフマンの意向が反映されていた。脚本家兼監督のロバート・ベントンは、脚本のクレジットにホフマンを加えたいと言ったが、彼は辞退した。
一方的に、離婚宣言をされ、子供を押し付けられ、失職しながら子供への愛を育てていった元・夫のけなげな献身ぶりが、観客の同情を誘う男目線の筋立てになっていた。
撮影初日から、ホフマンとストリープの激しいバトルがはじまった。
「こんなのありえない」。ストリープの主張は、妻の性格描写の全否定からはじまった。
夫と別れる決心をした、妻の重い深い気持ちの理解が、まったくできていない。
夫への思いやりに欠ける、鬼のように冷たい悪女として描かれていた。
夫への同情、共感を誘うことはできても、妻の存在は消されていた。
ホフマンは、ストリープに妥協する気はなかった。
ふたりに妥協点はなく、割って入った監督のベントンは、ストリープの主張と可能性にかけた。
ストリープが「私は、娘から妻になり母をやってきた。いつも誰かがいて、自分がいなかった。これから自分らしさを取り戻したい」離婚への妻の気持ちをひも解いた。
妻の離婚への衝動が、熟慮の爆発に思え、監督やプロデューサーを納得させた。
ホフマンは、とても気に入らなかった。
妻への怒りをあらわにして立ち去るシーンで、ホフマンは、ワイングラスを壁にぶち当てて、立ち去るアドリブを入れた。
ストリープは、髪の毛についたガラスの破片を取りながら「もう一度、このようなことをしたら、あなたは、私の名前を生涯忘れないようになる」と宣戦布告した。
闘いのあと、アカデミー賞の最優秀映画賞、最優秀監督賞、最優秀男優賞と最優秀助演女優賞など、上位4賞を独占した。
アカデミー賞受賞の映画は興業収入が悪いと言われるが、演技者がプライドと叡智をかけて、しのぎを削る戦いが賞をもたらすことを忘れてはならないと思った。
それにしても、ストリープが、アカデミー賞やゴールデン・グラブ賞で得た受賞トロフィーを、パウダールームに2度も置き忘れたのは、”こんなものが欲しくて、あなたと争ったのではない”というホフマンへの当て付けだったのか、それとも偶然だったのか。
<映画好きへのトリビア>
⭐️この映画で思いのたけを語ったホフマンは、撮影後に最初の妻と離婚した
⭐️ホフマンが心酔する「メソッド・アクティング法」に、ストリープは、名優アンソニー・ホプキンス同様、否定する。「映画で自分の家を焼かれた登場人物を演じるのに、”自分の家を焼くのか?”と言うホプキンスの古典的な反論に同調する。
⭐️2020年代の弁護士の解釈では、「もっと、子供の意思を反映する法的な建て付けになっているという