あなたを知れば知るほど好きになりました
<エピソード1>
あなた、フレディ・フリーマンは、いつも長袖のTシャツを着ています。
暑い夏でも長袖。日焼けが嫌いな女性のような感じすらします。
これは、フレディが、10才の時に亡くなったお母さんの願いだったことを知ることになります。
「あなたには、お母さんの皮膚がんのDNAがあるから、皮膚を露出しないで」と
言われ、35才の今も守っている。
フレディは言う「いつも母は僕を見ていると思っている」。
いい息子です。
<エピソード2>
オールスターに8度選ばれるなど、人気も実力もあるフレディですが、スタートは
3年間のマイナーリーグ暮らし。
別名ハンバーガー・リーグとも呼ばれ、ハンバーガーを食べながらバスで球場を
移動するハングリーな時代を経験。
(あるパーティで出会った二人。夫人が「夫はプロ野球の選手なの。でも、まだ、マイナーリーグだから」と言って、決して自慢している風ではなかった。夫は、太い腕がついた肩をすくめた)。
アトランタ・ブレーブスのドラフト78番目に選ばれた縁で、12年間「風と共に去りぬ」の南部アトランタに、フレディは住むことになる。
13年後、契約更新がうまくいかず、生まれ故郷のロスアンジェルスのドジャースに移籍する。
「僕ら夫婦の友人は、アトランタにいる」。家を売らず、オフシーズンの帰省地
にして、交友を温めることにした。
しかし、2014年の冬の帰省は、大変だった。家族に遅れて車を運転して向かったが、あと少しというところで、豪雪に埋もれ立ち往生。
フレディが雪に埋もれていることを知り、昔のチームメイト、チッパー・ジョーンズが、豪雪をものともせず、難路走破の全天候型ATVで救出に来てくれた(農耕に使われることが多い車両で、多くの州では一般道の運転は禁止している)。
ヒーターの効いた車から、吹雪をさえぎるものが何もない車両へ。振り落とされないよう、チッパーの腰にしがみつきながら、友情の温もりを感じていた。
<エピソード3>
サッカーのワールドカップのように、世界の野球選手が国の代表として戦う
”ワールド・ベースボール・クラシック”があります。
フレディはアメリカ生まれ、大リーグ選手なので、当然アメリカ代表として指名を受けることになっていました。
しかし、フレディの両親はカナダ移民。母はいなくても父のために、カナダ代表として参加したいと申し入れました。
国境のない2国は、親孝行を実現させてあげようと、フレディのわがままを聞き入れ、2重国籍を与えました。
結果は、日本、アメリカに次いでカナダは3位。会計士のお父さんは、カナダの
親戚にうれしそうに電話をしたそうです。
<エピソード4>
フレディが10才で亡くした母親の時とは違う、不安と動揺をフレディは感じていた。
月曜日の朝、3才の末っ子が、びっこをひいて歩きはじめた。その夜には、歩くことができなくなった。医者に診せると、ウイルス感染による急性関節炎と診断された。
しかし、火曜日には、座ることができなくなった。水曜日、飲食ができなくなった。緊急病棟に収容されたが、薬効があり午前3時半退院。
ところが、金曜日、容態が急変。緊急搬送され、ウイルスによる関節炎ではないことが判明。
病巣が、下半身、腰、横隔膜、肩へと上がり全身マヒが始まる。免疫組織が暴走し、運動神経を破壊するギラン・バレー症候群を告げられる。人工呼吸器が装着された。
土曜日、日曜日と、破壊された神経細胞を修復するために(ほぼ血液を入れ替える)血小板点滴の治療が、2度行われた。
末っ子の名前をマックス(Maximus)と名づけたのは妻だった。フレディにとって「最高」というような大げさな名前は思いもつかなかった。しかし、今こそ、その「最高」が求められていた。
そして、それが叶った。フレディが看病のベッドでうとうとしていたら、マックスは、人工呼吸器を自分で外し、フレディの膝の上に乗ってうずくまった。
その瞬間、「2024年7月31日22時46分という時刻を一生忘れない」と、フレディは言う。これから長いリハビリがあるものの、快方へ向かうと医者に告げられた。
欠場して10日後、フレディは、復帰戦に臨むために球場に着いて驚いた。
チーム全員が、”MaxStrong(マックス強いぞ)"と書いたTシャツを着て迎えてくれた。
「誰が考えてくれたのか知らないけど、ドジャースの心遣いには本当に感謝している」と涙を浮かべてコメントした。記者会見でも、涙を拭くために大きなタオルを肩にかけて登場した。フレディは、いい男だ。
<エピソード5>
「人が悲しんでいるとき、苦しんでいるとき、手を差し伸べるのは、友達として当然のこと」。4度もメールで連絡をくれたのが、他のチームの旧友ブルース・ハーパー。
ゲーム中にもかかわらず、フレディは、1塁に出塁したとき、ハーパーを抱きしめた。
敵チームの有力選手が、「球団を移籍するなら、フレディと大谷がいるドジャースがいい。彼らが試合にどう臨んでいるか、近くで学びたい」と言う。
実は、大谷も、野球に真摯に取り組むフレディとプレイしたいと望んだ一人だった。
親孝行であり、友達孝行であり、磁石のように人を惹きつける人柄なんだと思う。