「おかえりモネ」〜「心の洗濯」の場面
2014年。トラウマを抱えて登米に来たモネと菅波は偶然が重なり「トラウマ回復のニコイチ」として自助グループ活動(同じような傷を負う者がグループとなり、感情を共有しながら心の傷を癒していく治療)をはじめていると読み取れました。(→詳しくはこちらのnote)
菅波とモネは2人で過ごす時間そのものが、2人の「心の洗濯」になっているようです。
ここではその「心の洗濯」につながる要素をピックアップして整理していきたいと思います。
「心の洗濯」①〜『五常訓』はバランスが大事!との教え
1話からサヤカと毎朝唱えている「五常訓」。
次のtweetにもまとめていますが、五常訓は「儒教の教えも大事だけど、それに偏ってはうまくいかない。バランスが大事だと説いたものです」…続きは↓こちらのnote
「心の洗濯」②〜『コップの実験』は溢れ出した心の傷
コップの実験は「空気は冷やされると、水や氷が現れる」=心の許容量がいっぱいになり「心の傷が溢れている」ことを菅波とモネが2人で共有するためのシーンです。
この勉強会で、「菅波とモネのトラウマ回復のための自助グループ活動」が成立していると確認できます。…続きは↓こちらのnote
「心の洗濯」③〜『手当て』は心の治療『熱伝導』は効果効能
ーー「おかえりモネ」での「手当て」の定義
「手当て」は「痛みが表面化した人」への「治療」である
その理由と詳しいシーンとの照らし合わせは↓こちらのnote
「心の洗濯」⑤〜菅波メール「洗濯」→「選択」は成長の順番
最初の試験日当日、気になったのが菅波のメールの打ち間違いです。
サヤカ「「選択」が洗濯物の「洗濯」になってるよ」
菅波メール「「選択」でした。失礼」」(28話)
この後の話を整理していくと、この打ち間違いが物語の大切な要素を伝えていると読み取れてきました。続きは↓こちらのnote
この物語の全てのエピソードは「洗濯」と「選択」と「覚悟」にぶら下がり、話を進めているようです。
「心の洗濯」⑥〜コインランドリーはカウンセリングルーム
東京編の始まりもコインランドリーの「洗濯機」からモネを覗くアングルで始まりました。登米編に続き、東京編でも「心の洗濯」が進むことを示唆していそうです。
東京ではコインランドリーが「心の洗濯をする舞台」です。
ある意味、コインランドリーはカウンセリングルームです。
洗濯機がぐるぐる回って洗濯している時は、モネか菅波の心が洗濯が進行している合図で、ピーピーとなる洗濯終了音は心の洗濯が一旦終了した合図です。
そして、
コインランドリーでの出来事は全て「心の洗濯」=トラウマ回復のための時間だと捉えてよさそうです。特にコインランドリーがぐるぐる回って洗濯中のシーンは、「心の洗濯」がその会話によって具体的に進んでいる場面に当てはまっています。
登米に続き、東京でも「心の洗濯」を進めてきた菅波とモネ。コインランドリーで最後に洗濯音を聞いたのは、菅波のプロポーズの直前でした。
なので、プロポーズに関するやりとりは、「心の洗濯」の範疇外と捉えて良さそうです。
ここで初めて、モネは続きを促し、「心の洗濯」が完了している菅波はしっかり右脳も左脳も使ってプロポーズできていました。バランスというより、左脳使って、はい次、右脳使って…って感じでしたが。
ただ、それ以前の東京での2人の会話はほぼ全て「心の洗濯」の範疇だったと捉えられそうです。(汐見湯リビングでの会話は、きちんと読み解きの裏付け確認をまだしていませんが範疇外の会話かと思っています)
「心の洗濯」⑦〜蕎麦屋
14週、菅波と百音がはじめてコインランドリーの外に出かける「蕎麦屋」。「48分後に戻りましょう」と菅波は誘います。
菅波はよくこういった残り時間のカウントダウンをします。そしてそれぞれのカウントダウンに意味がありそうです。
「蕎麦屋×残り時間×週タイトル」の意味も整理することで読み解けたように思えます。そのナゾトキは↓こちらのnoteにまとめました。
「心の洗濯」⑧〜傘
傘も「トラウマから回復する力」の比喩だと考えられます。
雨は「トラウマ(心の傷)」です。そのトラウマから心を守るものが「傘」です。そして、その傘がこの物語で意味する役割を次のように捉えることができます。
震災後のトラウマ回復の過程を説明する資料で、トラウマを回復する力として必要なものは、「トラウマを思い出して考える心の自由」と「しまっておける心の自由だ」と説明があり、この説明と傘の役割が一致しそうです(資料:東京大学大学院教育学研究科附属心理相談室公開講座資料「回復する力とは何か」)
傘=トラウマから心を守るもの。
傘を所持することで表現したいこと=
「トラウマを思い出して考える心の自由」と「しまっておける心の自由」
ーー18話の新次と耕治が居酒屋でいるシーンで「傘」が出てきました。
会話の内容からも銀行員を揶揄した"晴れた日に傘を貸し、雨の日に傘をとりあげる”を逆手に取った描写に見えましたが、傘にはもう一つの意味を持たせているように感じます。
耕治「外、雨強くなってんじゃないが?ああ・・・傘、使えよ」
(折り畳み傘を出す耕治)
新次「フフフフ・・・」
耕治「何だよ」
新次「準備がいいなおめえは。昔っからそつがねえっつうがよ。俺の船ん時もそうだよ。おめえの判断正しがったよな。でもよ、焚ぎつけだのはおめえだろ。金で首が絞まるって分がってでもなんとがすんのが銀行員でねえの?なんつうのは甘えがね。フフッ」
耕治「・・・・・・・・・」
新次「んでな」(18話)
耕治と新次が居酒屋で呑んだ帰り道、新次は耕治の傘を受け取りませんでした。
この時、新次は美波の死を受け入れられず心の傷を取り出せない状態でした。自分の意思でトラウマを取り出すことも、もちろんしまうことすらできない心が囚われた状態です。
ーー13週でも菅波とモネが相合い傘をしたシーンで「傘」が登場します。
百音「はい! 帰りましょう!先生、傘は?」
菅波「あ・・・今日、降ると思ってなくて」
(開いた折り畳み傘を菅波にさしかける百音)(61話)
ここで菅波はモネと一緒に「傘」の下に入ることができ、雨=トラウマから身を守る術が身についたことが表現されています。
「新人の菅波先生のホルン奏者への対応」と「新人のモネの鮫島パラ予選対応」は、ほぼ同じ出来事です。結果(成否)が違っただけ。
菅波は鮫島のサポートをしながら、モネを通して自分のトラウマの追体験(暴露療法)を行なっていたと言えます。
そして百音と鮫島のやりとりを通して、菅波の心が整い、その合図として雨が降った。(→心が整い雨が降る理由は、上記「心の洗濯①五常訓」より)
心が整った菅波は、そのトラウマから身を守れる状態です。
だから傘をさせた(傘に入れた)。
この週の金曜、コインランドリーで菅波はモネに診断ミスによりホルン患者の人生を奪ったトラウマを吐露し、モネからの手当てを受けています。
トラウマ吐露と手当ての流れについてはこちらにまとめました。
以上を踏まえると、この青空の傘での相合傘のシーンは、
鮫島サポートを通して「2人の上には青い空」が広がり「心の洗濯」によい兆しだったと言えそうです。
モネと菅波先生、ふたりの「心の洗濯日和」。
モネにとっても「心の洗濯日和」になったと思う理由はこちら↓「熱伝導」
▼「菅波とモネ」が「心の洗濯」を行っている前提はこちら
「心の洗濯」④〜ど正論
まとめ中ですが、「ど正論」「正しいけど冷たい」「綺麗事」も心の成長でクリアすべき考え方を表していそうです。
発し手と受け手の2段階あるのかなと見ています。
tweetしてきた内容を踏まえて追ってまとめたいと思っています。