「おかえりモネ」〜「誰かの役に立つ」ということ 「何もできなかった」ということ
何度も何度も出てくる「誰かの役に立つ」という言葉。「あなたのおかげ」「あなたがいてよかった」と表現を変えて至るところに出てきます。
この物語での「誰かの役に立つ」ということ。その「誰かの役に立つ」と対になって出てくる「何もできなかった」という思いについて整理していきたいと思います。
「誰かの役に立つ」ということ
まず、2話から何度も回想で登場する「水の循環」の説明セリフ。
この回想シーンで「誰かの役に立つこと」がざっくりと説明されています。
龍己「その山の葉っぱさんたちが、海の栄養になんのさ。山は海とつながってるんだ。なんも関係ねえように見えるもんが、①何かの役に立つっていうことは、世の中にいっぱいあるんだよ」百音「じゃあみんな①誰かの役に立てんの?」
この「水の循環」で説明されている
『みんな繋がっているからみんな何かの役に立っていること』が「おかえりモネ」の主題であり、この物語を通して最も伝えたいことなのではと思っています。(『「水の循環」は「モネの成長の旅」』についてはこちらのnote)
この「誰かの役に立つということ」は物語早々1週目から、その意味について掘り下げられていきます。併せて、これがモネの強い想いである事も語られています。
百音「人の命を救いたいから医者になったとか、水産業を発展させたいから、研究者を目指すとか…。そういう「熱い気持ち」みたいなの…私にはまだないです」「②ただ誰かの役に立ちたい」(3話)
同じ事を同3話で再びサヤカに吐露し、サヤカは次のように返しています。
百音「あのヒバの木見に行ったじゃないですか、300年生きてきた。私、羨ましいなあって思ったんですよね」「300年かけてじっくり生きてきて切られたとしても、②ちゃんと人の役に立つなんて最高だよなあって」
サヤカ「う~ん! まっとうだ!私が六十うん年生きてきて得た結論から言ってしまうとね。別に、モネが死ぬまで、いや、死んだあとも、①な~んの役に立だなくったっていいのよ。ただね、②これから頑張んなきゃいけない18歳のあなたにそれを言っちゃぁおしまいよ、うん。②誰かの役に立ちたい。いいよ、健全だ。悩め悩め悩め!」(3話)
これを噛み砕くと2種類の「誰かの役に立つ」が見えてきます。
①「受動的に誰かの役に」→自分はそんなつもりなくても誰かの支えになっていた。寄り添っていた。そこにいるだけでいい。
②「能動的に誰かの役に」→人との繋がり。仕事や社会貢献も
冒頭龍己の「水の循環」のセリフからここまで、役割を割り振り①②の番号を入れてみました。
ヒバは通常①の役割を担い、そこにいるだけで水を保水し浄化しています。伐採後、登米能の森舞台に使われることは②の役割を担う事になり、モネはその姿を「羨ましい」と思っています
物語の始まり18歳のモネは②の「能動的に誰かの役に立ちたい」に捉われていたことがわかります。
しかしながら、誰しもすでに①受動的に役に立っている。
サヤカの教え通り②をめざして悩み足掻く事は若者として必要で健全な経験です。これに加えて、モネは自分はすでに役に立っていることへの”気づき”が必要だったといえます。
「誰かの役に立つ」ということまとめ
「誰かの役に立つ」には2種類あります。
①「受動的に誰かの役に」→自分はそんなつもりなくても誰かの支えになっていた。寄り添っていた。そこにいるだけでいい。
②「能動的に誰かの役に」→人との繋がり。仕事や社会貢献も
モネは「誰かの役に立ちたい」「何もできなかった」と悩んでいるけど①はすでに出来てた。
家族にも大切な人にも。
ただモネが「ここにいること」は当たり前じゃなくていろんな人の助けや運命があるからです。
嵐の日に船で繋がれ命が誕生した。震災で助かった。家族から大切に育てられた。菅波先生や朝岡さん、サヤカさんからきちんと教育を受けた。大切な人が寄り添ってくれた。幼馴染が見守ってくれた。
①「受動的に誰かの役に立っていること」=「そこにいるだけでいい」と思えて初めて人は、「自己肯定感」が育ち②の社会貢献ができる人材へと育つのではないでしょうか。
②能動的に誰かの役に立つために行動するのは、自分のためであるべきで、そうした行動が①受動的に誰かの役に立つことにつながり自己肯定感を育てていく。自己肯定感が高まると②の行動が促される。循環が起きる。
お互いにとって①であり②の行動が伴うことが愛情や深い繋がりなるのかも知れません。
②能動的に誰かの役に立つために行動する際、「自分のために」行動すべき大切さをモネは鮫島さんエピソード「風を切れ」で学んでいます。
鮫島「私が100%自分のために頑張ってることがな、巡り巡って、どっかの誰かを、ちょこ~っとだけでも、元気づけてたら、それはそれで幸せやなあって思うんよ」百音「自分が、自分のためにって一生懸命やってることが、誰かのためにもなったらって。それ一番いいかもしれないです。鮫島さんさすがです。かっこいいです」(60話)
莉子「何かさ、永浦さんって、ちょっと重いよね。てか、人の役に立ちたいとかって、結局自分のためなんじゃん?」(61話アバン)
「誰かの役に立ちたい」のは「何もできなかった」から
「誰かの役に立ちたい」とモネが強く思う原因は「何もできなかった」からです。
とにかくあの日モネは亮に対して「何もできなかった」。自分が唯一誇れる音楽の力も2011年の彼に対しては無力だった。だから自分は彼のそばにいる資格がない。モネはそう思っていたようです。
これはホルン演奏後の様子から読み取れます。
ホルン演奏後(回想)百音「音楽なんて、何の役にも立たないよ」(吹奏楽の演奏と、亀島の海)百音「音楽って、こんなにも背中を押してくれるものなんですね」「私、強くて、力がないと、誰かのために働いたりなんか、できないって思ってました。」(95話)
それどころか、あの日、彼のそばにいくことをはばんだのは音楽だった。音楽科の合格発表であり、ジャズ喫茶でのひとときだった。音楽さえなければ、モネは島を出ることもなく彼のために何かできたかも知れないのに。
そもそも水がなければ、津波は起きないし大切な人の大切なものも奪われなかった。水がなければ、島とモネを隔てる運河のような海を走って渡ることができたのに。
「何もできなかった」のセリフを追っていくと、あの日からそんな気持ちに侵されモネは日々を過ごしていたように見えます。
「何もできなかった」「無力」なモネは、「何かできる力を身につけて」「誰かの役に立ちたい」。それがモネの原動力となっています。
朝岡「何もできなかったと思う人は、次はきっと、何かできるようになりたいと、強く思うでしょ? その思いが、私たちを動かす、エンジンです。」
そのきっかけになったのが、未来を予測して大切な人の大切なものを守ることができるかも知れない気象予報との出会いだったと言えます。朝岡さんの指示と「永浦さんならわかります」という言葉でモネが気象を感じ圭輔くんの命を救うこともできました。
しかも気象予報士は「国家資格」です。モネは資格という誰かのために働くことができる強い力を手に入れることができる。
『気象予報士の国家資格を取り「役に立てる力をつけること」ができれば、亮のために「何かできる」資格ができる。それはモネは亮のそばにいてもいい資格になる』
登米編のモネが潜在下でたどり着いた結論はここだったのではないでしょうか。
「何もできなかった」の背景には亮がいる
「何もできなかった」の背景には亮がいることを前提に書いていますが、それを読み取れるモネの想いが集約されているのが、41話アバン(8週までのまとめ)と45話家族へモネが気持ちを説明するセリフです。
41話9週はじめアバン〜8週までのまとめ
百音「私・・・何もできなかった」
ふるさとを離れサヤカさんのもとに身を寄せた百音は
百音「すごい!天気予報って未来が分かんですね!」
気象が、科学で未来を予測するものと知ってのめり込みました。
百音「私が天気のことを勉強したらおじいちゃんの仕事や、誰かの役に立てるかな?」
ところが…。(予報士試験1回目)百音「落ちました」
(予報士試験2回目不合格)百音「ああ~!」
百音「合格したからといって、何かできるなんて、本当は思ってないです。誰かを助けられるとか・・・。でも今は、これをやるしかないんです」「私、絶対に合格します!」百音は、3度目の予報士試験に挑みました。
45話家族へモネが気持ちを説明するセリフ
百音「みんな無事で本当にうれしかった。でも(涙)何かがもう違った。あの数日間で、私と、みんなは見たものも、経験したことも違ってしまって。そのことが、だんだん後ろめたさみたいになって、ここにたまってきて、苦しくなった。私は何してたのって。(泣)
ごめんなさい。あの時、何もできなかったっていう思いが、島にいると、その思いから抜け出せなくて。それで、とにかく島を出たいって。でも今は、自分にもできる事があるかもしれないって。気象はね、未来が分かるんだよ。未来が予測できるってことは、誰かが危ない目に遭うのを止められるかもしれないってことで。もしも、そんなの無理かもしれないけど、でも、この仕事で、誰かを守ることができるんなら、私は全力でやってみたい。大切なものをなくして傷つく人は、もう見たくない。」(45話)
「大切なものをなくして傷つく人」はモネの周りで亮だけですし、おじいちゃんの仕事=海の仕事です。その他の言動も全て裏に亮がいると仮定すると繋がることばかりです。逆に「亮以外の人」をあてはめた時、辻褄が合いません。物語当初から見守っているのは、モネが吐く言葉が「亮だけ」にかかるのか「亮を含む家族や友達全てにかかるのか」の2択です。
が、物語を追っていくと「亮だけ」に掛かっていると読むのが正解だと思っています。
具体的な例をもとに読み解いているのがこちら↓
そしてそんなモネを「何かできる人になりたい」「誰かの役に立てる人になりたい」と突き動かしているのが、前述した朝岡さんのこの言葉です。
(回想)朝岡「何もできなかったと思っているのは、あなただけではありません。私たちは、サヤカさんも、もしかしたら誰もが、自分は何もできなかったという思いを、多少なりとも抱えています。でも、何もできなかったと思う人は、次はきっと、何かできるようになりたいと、強く思うでしょ? その思いが、私たちを動かす、エンジンです。」
(回想再)朝岡「何もできなかったと思う人は次はきっと、何かできるようになりたいと強く思うでしょ?」(33話)
「何もできなかった」が「何もできなくてもよかった」に
東京編を終えた今、北上川に移流霧を見に行ったシーンを思い出します。
百音「私の地元、気仙沼の海にも冬になると、けあらしっていう霧が出るんです。これとすごくよく似た風景が港に広がるんです。私そのけあらしを見るのが小さい時からとても好きで。海から昇る朝日も・・・とても好きで」(涙)
(震災の日回想)百音「でも、あの日・・・。私、何もできなかった」(涙)
朝岡「霧は・・・。いつか晴れます」(5話、6話アバン)
(回想)百音「とにかく、私は・・・この島を離れたい・・・」
(回想)百音「あの日・・・何もできなかった」
メール「わたしは、ここにいます」(6話)
東京編最後のホルンの演奏後には「何もできなくても大丈夫だった」とモネの意識が変化したことが受け取れました。
百音「音楽ってこんなにも背中を押してくれるものなんですね」「私、強くて、力がないと、誰かのために働いたりなんか、できないって思ってました。でも、宮田さんも…。うちのおじいちゃんもうちの家族も…。地元の人たちも、本当は強くなんかいられないし、力もそんなにあるわけじゃない」「なのに、明るいし、元気だし何よりすごく楽しそうで。それで、私の方が元気をもらう。」(95話)
「急に手紙なんて心配させたらごめんなさい。自分の気持ちをちゃんと伝えたくてこうして書くことにしました。「この前、カキ棚の片づけをするみんなを見て思いました。自然を前になすすべがない時でも、明るく前を向こうとする姿に、『ああ、すごいな。こういうみんなと、一緒に生きていきたい』、そう思いました。役に立ちたいという気持ちは、変わらずにあります。でも、それ以上にただそばにいたいと素直に思えたんです。私は今、みんなと一緒にいたい。自分の生まれ故郷に戻って気象の仕事をしてみたい。心からそう思っています」(96話手紙)
これは上述「誰かの役に立つ」①を理解し、「そこにいるだけでもいい」と思えたということになります。
①「受動的に誰かの役に立っていること」=「そこにいるだけでいい」と思えて初めて人は、「自己肯定感」が育ち②の社会貢献ができる人材へと育つのではないでしょうか。
「何もできなかった」と思った日々は無駄ではなく「気象予報士の資格」と何もできなくてもいいけど「次はきっと何かできるようになりたいという強い思い」が残っています。
その想いに繋がる②「能動的に誰かの役に立ちたい」も東京編終盤に向けて具体的で前向きな感情に変化しています。
82話では野坂さんプレゼンのヘルプでモネは故郷を回想し「守れるなら守りたい」と想い、2019年台風の対応後には「目の前の笑顔が見たい」という誰かの役に立つ先にある「自分のため」に繋がるワードも出てきました。
気仙沼編でモネは②の能動的に誰かの役に立とうと、社会貢献しようと奮闘するでしょうが、そこで「自分のため」と「誰かのため」のバランスにはまだまだ悩みそうな予感がします。
「自分が、自分のためにって一生懸命やってることが、誰かのためにもなったらって。それ一番いいかもしれない」(60話)
「人の役に立ちたいとかって、結局自分のためなんじゃん?」(61話)
「音楽は無力じゃない」モネはサックスを吹く日が来るのか
宮田「お父さんやってたんなら吹いてくれ吹いてくれって。息子は私の事情なんて知らないから無邪気なもんで」
息子「吹いて吹いて」
宮田「でも何か自然と手に取れたんです」(94話)
宮田さんは息子のためにホルンを再び吹くことができました。
そしてモネがサックスを再び吹くきっかけは、亮の背中を押すためかなと思っています。
「音楽は無力だ」と感じたあの日から8年。
ホルンの演奏を聴いてモネは「音楽ってこんなにも背中を押してくれるものなんですね」と感じています。
何もできなかった無力なはずのモネの音楽の力が、亮の背中をたしかに押せたなら、あの日のモネを肯定する事にもつながるはずです。