「おかえりモネ」は『心の復興』の物語。安達奈緒子による令和版手塚治虫『ブッダ』
まず前提として、手塚治虫『ブッダ』は宗教書ではありません。お経の文は出てきません。
ーー内容は仏教を踏まえた手塚哲学・手塚イズムです。
火の鳥もブラックジャックも伝えているメッセージはほぼ同じです。
実際、手塚治虫はインタビューで『ブッダ』を「釈迦の大河ドラマを通して「人間が生きるということ」を描いた」と語っています。
”仏教と人間が生きるということを結びつけて1つの大河ドラマ、ビルドゥングスロマン(主人公の内面的な人間形成の過程を描く作品)のようなものを描きたいと思っています”(手塚治虫『ブッダ』を語る)
はじめに
私自身ブッダを読み、そこで説かれている考え方をすべては肯定してはいません。しかしながら、SDGsやD&Iなど価値観の過渡期にあたり適切なアップデートが必要な今、世界がめざす持続可能な社会の根底に流れる哲学が「手塚ブッダ」と共通しているのは事実です。30〜40年も前の作品とは思えないほどに新しい視点です。
これからの時代に合わせて今求められている社会の価値観について議題にあげるのに、これ以上ないぴったりな作品だとも思っています。
そして、それらの視点は「おかえりモネ」の視点とも共通しています。(ブッダの方が極端でわかりやすいですが)
ーー「手塚ブッダ」は2000年以上前のカースト全盛期の話です。
戦争も飢餓も疫病も職業選択の自由のなさも、「おかえりモネ」の舞台である今の日本とは雲泥どころの差ではありません。しかしながら、王や奴隷など登場人物たちはどんなに境遇の差があれど皆、ある意味平等に心に悩みを抱えています。無自覚のものも多くいます。もちろん主人公のシッダルタ(ブッダ)も王子として生まれながらも悩みを抱えています。しかも疫病が流行している現場を見たトラウマから国を逃げ出し修行の旅に出ています。
その後、さまざまな人と出会い、シッダルタ(ブッダ)自身が「心の復興」をたどり、成長しながら、たくさんの”気づき=悟り”をえていきます。
その旅の中で、シッダルタ(ブッダ)は心の病や悩みを持つ多くの人と出会い、その根っこの部分を突き止めることで救っていきます。
さまざまな人の悩みや生き様、争いや無償の愛や優しさ、慈悲の心を通して、自然の摂理の中で生きるということについてブッダ自身も悩み、「人はどう生きるべきか」について考えを深めていく話です。
ーーすでにこの説明が「おかえりモネ」です。
「おかえりモネ」は手塚ブッダの概念を踏襲しながら、脚本家の安達奈緒子さんが手がける、主人公モネと登場人物が「心の復興」と思春期からの成長をたどって「人はどう生きるか」を模索する「令和版手塚ブッダ」と言って良さそうです。
※決してモネ=ブッダというわけではなく「人は皆、神になりうる=みんなブッダ」という捉え方をしていそうです。その中の主人公=モネです。
ーーまず「おかえりモネ」の全体像は次の通りだと思っています。
「おかえりモネ」は「水の循環」をストーリーの骨子として、その上をたどる「心の復興」の物語であり、「心の復興」の概念・コンセプトは安達奈緒子による令和版手塚治虫『ブッダ』
ーーこのnoteで伝えたいのは次の部分です。
「心の復興」の概念・コンセプトは、
安達奈緒子による令和版手塚治虫『ブッダ』
おかえりモネでの、エピソードや心に残るセリフは「手塚治虫『ブッダ』」を安達奈緒子が令和にあわせて解釈し脚本に落とし込んでいるようです。
ひとつずつ整理していきたいと思います。
1.「おかえりモネ」と「ブッダ」はキーメッセージが同じ
修行の旅の中で、主人公シッダルタがはじめて悟りを開き【ブッダ(目覚めたひと)】となるシーンのセリフが次の(A)です。「手塚ブッダ」のテーマのひとつです。このセリフが始まってから気づきまで10ページ近くあり、その後も何度も繰り返されるほど重要なセリフです。
「おかえりモネ」で1週から何度も何度も繰り返される龍己の「水の循環」のセリフ(B)はほぼこのブッダの悟り時のセリフ(A)の言い換えになっており、「おかえりモネ」でも重要なテーマのひとつです。
(A)「木や草や山や川がそこにあるように人間もこの自然の中にあるからにはちゃんと意味があって生きている。あらゆるものと…つながりを持って!」「もし おまえがいないならば何かが狂うだろう おまえは大事な役目をしているのだ」
(B)「その山の葉っぱさんたちが、海の栄養になんのさ。山は海とつながってるんだ。なんも関係ねえように見えるもんが、何かの役に立つっていうことは、世の中にいっぱいあるんだよ」「じゃあみんな誰かの役に立てんの?」
ここで出てくる「あらゆるものと…つながりを持って!」「なんも関係ねえように見えるもんが、何かの役に立つっていうことは、世の中にいっぱいあるんだよ」を表現するために、ドラマ上でもできる限りありとあらゆるものに繋がりを持たせて演出しているように感じています。「印象派クロードモネ」「ジブリ宮崎駿」「亀島の浦島太郎伝説」「トキワ荘」・・・
制作側の手順をイメージすると、まず「震災10周年PJの朝ドラ」から始まり「心の復興」にテーマが据えられます。そこから、テーマの親和性の高い「手塚ブッダ」が選ばれ、「手塚ブッダ」を始点にマインドマップが広げられていったと考えるとそれぞれの話題へ自然につながっていく気がします。
(小ネタが多すぎてその意図が読めなくなってきそうだったとき、整理用にざっとまとめたマインドマップがこちら↓)
ここで表現されている「あらゆるものと…つながりを持って!」は、言葉を変えて、どちらの物語でも何度も出てきます。
(A)この世界のあらゆるものが細かい細かいアミの目のように絡み合いながら上手く動いていくのがわかる。生きものだけではないない 火も水も石も岩も山も雲も霧も太陽も月も星もみんな縁を持っている。あらゆるものにつながりを持たせておいでじゃ
(A)「 火も水も石も岩も山も雲も霧も太陽も月も星もみんな縁を持っている」(手塚ブッダ)
(B)「例えば山は水を介して空とつながっています。海もそうです」(朝岡)
このように、どちらの話でもキーとなるこのセリフをはじめ、本当に多くのセリフやエピソードが「おかえりモネ」に直結しています。
「おかえりモネ」と「手塚ブッダ」の類似セリフをとりあえず、気づいたものだけピックアップしました。ピックアップしているものは重要な役割を持つセリフばかりです。「おかえりモネ」で演者が少しためてハッキリした発音で話すセリフは、「手塚ブッダ」に類似セリフが見つかりやすいように思っています。
◇「20年前私も…ある仙人に病人とか死んだ人間を見せてもらいその時のショックが原因で城を捨てる決心をしたそれが私の修行のきっかけだった…」(手塚ブッダ)
◆「あの時何もできなかったっていう思いが…島にいるとその思いがら抜け出せなくて…それでとにかく島を出たいって」(モネ)
◇「これから先に起こる災難は起こらないようにする方法があるかもしれない」(手塚ブッダ)
◆ 「未来は平等に誰にも分かりませんよね。でも気象は分かります。」(朝岡)
◇「災難は避けられないものと避けられるものがある。避けれられるものは人間が自らの手で予測して避けることができます。その予測をする人間がほしい」(手塚ブッダ)
◆ 「それを分析すれば未来に何が起きるかが分かります。つまり気象においては危険を予測し回避する時間が得られる。」(朝岡)
◇「その予測をする人間がほしい。今の世の中には必要なのです」(手塚ブッダ)
◆「私たちが全力を尽くして提供するのは、大切なものを守る時間です」(朝岡)
◇ 「天よ…地よ 生まれる私の子に祝福を」(手塚ブッダ)
◆「山の神様!いや海の神様でも、空の神様でもいい、どうかあの子に!よい未来を」(サヤカ)
◇「心でものを見聞こえぬ音を聞き未来に何が起こるかを感じとるのだ」(手塚ブッダ)
◆「永浦さんは耳がいいんだね」(翔洋)「永浦さんなら分かります!」(朝岡)圭輔遭難シーン
◇「みんな苦しみやなやみをかかえていきてる」(手塚ブッダ)
◆「何かしらの痛みはあるでしょ。自覚してるかしてないかは別として」(内田)
◇私たち生き物は何も悩んだり苦しんだりして一生を過ごしているんじゃない(手塚ブッダ)
◆人は傷つく必要なんかない。絶対にない。(85話菜津)
◇「医者ってのは患者が例えば痛い痛いと転げまわってるだけでは病気の原因はわからない。患者の話を聞き診察をして原因を調べるのです」(手塚ブッダ)
◆「何かしらの痛みがあるっていうのは医療にも通じる…体の痛みも心の痛みも本人でなければ絶対に分からないんですよね」(菅波)
◇ 満天の星空「あの空をごらん、この広い空と大地の全部がその宿命(さだめ)で動いてるのだよ」(手塚ブッダ)
◆ 昔も今も人は天候に運命を左右されながらそれでもなんとかかんとか生きてきました。(1話牡蠣ナレ)
◇「雲は一度として長い時間同じ形をしていないそれに時には雨を降らせ嵐まで起こさせる。人間の運命もそんなものなのだ。人の運命は雲の形のようにけっしてじっとしていない」(手塚ブッダ)
◆「人の気持ちなんかねふわふわしたもんなんだよ…ほんと一瞬しかないんだからね奇跡だからね」(明日美)
◇「けっして一生涯おんなじように幸福だったり不幸だったりするものではない」」(手塚ブッダ)
◆「この一瞬を逃したら次の日にはいろんなことがかわっちゃうかも知れないんだよ」(明日美)
◇「すごい魔力をもっているんですね!カッコいいや」(手塚ブッダ)
◆「すごい!やっぱりすごいです!天気予報って未来が分かんですね!」「何で? …何なのこれ魔法⁈…」(5話モネ)
◇「こうやっておれば私の体温で温かさが全身に伝わるだろう」(手塚ブッダ)
◆「接してっとお互いの体温を感じるでしょ?それが熱の伝導」(サヤカ)
◇(父の後を継ぐことを受け入れられない王子に)
「それは違う!たとえ王だろうとバラモンだろうと信じていないのなら従う事はない!あなたはあなたの本心を頼りにして…ひとりで堂々と歩くが良い」(手塚ブッダ)
◆(父の後を継ぐことを受け入れられない三生に)
「なかなか重いよな。おやじが人生懸けてきた仕事を継がねえって十字架はなかなか重い。でもまあそれも選ぶのは自分だ。頑張れ」(耕治)
◇「みんな苦しみやなやみをかかえていきてる」(手塚ブッダ)
◆「何かしらの痛みはあるでしょ。自覚してるかしてないかは別として」(内田)
◇「あなたはその苦しみが生まれながらに背負った運命のように思い込んでおられる」(ブッダ)
◆「結局誰も何も言えないし祈ってもUFOは来ない。俺ももう改造はされない。一生ずっとこのまんま。でもそれはしょうがない」(亮)
◇ 「そうだっ!生きることが大切なんじゃないんですか」(手塚ブッダ)
◆「今わたしは生きてる。それが大事なんだ」(ホルン宮田)
◇「生きものとは何か 生命とは何か なぜ生きるのか… なぜ死ぬのか」(手塚ブッダ)
◆「人間とは何か 人生とは何か この世に生きるとは何なのか」(DJ三生)
◇ おまえが自分の言いたいことを洗いざらいいうんだ心の中のものをすっかり私にぶちまけるがいい(手塚ブッダ)
◆ 聞くから。全部。思っていること全部言って。…言ってほしい(モネ)
◇「他人を助ければ自分も助かる」(手塚ブッダ)
◆ 「助けてるようで、こっちも助けてもらってるから」(百音)
↓このtweetに随時ぶらさげています。
2.「おかえりモネ」における仏教関連の設定
「手塚ブッダ」をコンセプトとした時、関連しそうな設定を洗い出してみました。
(「大日如来≒不動明王≒釈迦≒ブッダ」)
・「モネは森羅万象を感じる天才」脚本家→大日如来は森羅万象の象徴
・モネ「睡蓮」は「蓮の花」。田中さんが撮影した「伊豆沼の睡蓮」は
「極楽浄土の睡蓮」と言われている
・三生の寺1120年。もうそれは「島の教え」
・「不動明王」は三生の寺のモデルの御本尊
・盆船の時、三生の父が唱えていたお経「大日如来」
・大日如来は太陽の象徴 →モネと亮はお互いを太陽で表現
・莉子が悩みを解決した時「観音さま」にみえた
3.本来のメッセージ「手塚哲学」を伝えるために「仏教」の印象を弱める仕掛け
「手塚治虫ブッダ」をモデルとした場合、「宗教色」を抑えるのも三生の役目かなと思っています。「特別な宗教」ではなく「島に根ざした島の文化そのもの」「島の考えそのもの」として描くために、仏教を生活の一部として自然に描いているかと。
初盆・盆船・仏壇…島に根付く仏教を丁寧に描いているのもそのためだし、ファンク・ラップ・テクノと仏教をポップ(?)に描いているのもそのためかと。
輪廻転生を繰り返す雅代も仏教を身近なものとして感覚的に理解させ、地域の教えのひとつとして身近なものに感じさせる役割を担っていそうです。
また、土曜放送で気仙沼出身であるサンドウィッチマンが「聖☆おにいさん」のパロディっぽいことをしているのも、逆説的だけど仏教を宗教ではなく「気仙沼に根付いた身近な存在(地元の教え)」と視聴者と共有する役割を担っていそうです。
また、仏教だけに偏らないように、登米は「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」など神道中心の世界観を描いているようにも思えます。
最後に「火の鳥太陽編」を用いて、仏教にとらわれずさまざまな価値観を衝突させお互いを認め合う仕掛けを入れることで、「新しい世界の価値観の創造・再生と復興」というところに落とし込んでいきそうです。
4-①散らばる「手塚治虫」の匂わせ
物語にちょこちょこ手塚治虫要素が匂わせのように入っているのでピックアップします。これは「手塚治虫ブッダ」をコンセプトにしている匂わせと、あくまで「手塚治虫の哲学」を伝えたいとのメッセージでもありそうです。
ーー手塚治虫本人”風”エキストラ登場
7月19日放送の46話東京に来て水上バスから降りるシーン。
ベレー帽に眼鏡ではなくサングラスでしたが完全に「手塚治虫」風の客がモネの後ろを通り過ぎました。
ーー「ブラックジャック」のネタが入ったり(菅波トラウマに繋がる→考察はこちら)、手塚治虫のアシスタントとして仕事をしていた「トキワ荘」漫画家繋がりのネタ(石ノ森章太郎、赤塚不二夫)が散見します。朝岡が眺めていた「雨」の絵は、手塚治虫が嫉妬した絵だとも言われています。(この雨の絵は「花散らしの雨」として、とても悲しいエピソードの場面でもありそれをみて朝岡は自戒していました)
ーーまた、宮崎駿作品オマージュも多く出てきています。
登米編屋外では「風立ちぬ」、
森林組合やカフェは「千と千尋の神隠し」
森の中は「もののけ姫」とオマージュが散見されました。
直接的には、台風の夜、サヤカが湯婆婆を彷彿とさせるセリフでモネに怪談風に語りかけていました。
宮崎駿も手塚治虫と縁の深い人です。
ーー汐見湯の舞台モデルは「トキワ荘」(×「カフェゲルボワ」)
汐見湯のセットは、現代を描くには不自然な作りになっています。細かな舞台設定は別途noteにまとめたいと思っていますが、モネの部屋と裏口(ボイラー室)は「トキワ荘」オマージュだと思っています。猫も。
リビングは印象派モネが集った「カフェ・ゲルボワ」の役割をイメージしていそうです。
汐見湯リビングのソファカバーと暖簾が「いろはうた」の手ぬぐいになっていました。いろは歌は仏教の基本的な教えです。汐見湯ではほとんどのアイテムが物語と関連する意味を持って存在していました。「いろはうた」もブッダつながりを示唆するアイテムのひとつだったと言えます。
4-②土曜日放送サンドコーナーでの「手塚ブッダ」匂わせ
「心の復興」の概念・コンセプトが安達奈緒子による令和版手塚治虫『ブッダ』だと仮定した場合、この部屋がヒントだらけの部屋に見えてきます。
ーーまず初めに、この部屋とサンドの2人が、ブッダとイエスのギャグ漫画「聖☆おにいさん」のブッダとイエスであり、この部屋はそのシェアハウスのアパートに見えます。(部屋は「トキワ荘」手塚部屋の要素も少しありそうですが)
漫画の公式サイトで部屋の写真がなかったので、NHKが忠実に実写化したドラマの画像を引っ張ってきました。ちゃぶ台を挟みテレビをみているコマもよく出てきます↓
ーーそして、「聖☆おにいさん」の部屋に鎮座しているでかい仏像(ジュニア)は、サンド後ろでずっと主張してる「虎」のぬいぐるみ🐅かと。
虎は釈迦如来(ブッダ)の前世の姿と言われています。「捨身飼虎」のエピソードです。仏像を虎に置き換えているように見えてきます。
ちなみに手塚治虫ブッダ1巻の表紙も「虎」ですし、最終巻にも虎がいますし、全巻BOXの箱のイラストも下記の虎です。
ーーさらに、サンドの後の窓の外を時折横切る電車は、次のtweetの内容を思い出させます。
”「聖☆おにいさん」で中央線乗り過ごした仏陀が漫画喫茶で一夜を過ごして「手塚治虫スゲー!」って泣きながら手塚ブッダを全巻読むシーン”
以上のことから、土曜日放送のMCコーナーは
サンドの2人(仏陀イエス)が「手塚治虫スゲー!」(おかえりモネすげー!)って観てるコーナーと解釈できるかと。伊達さん後ろに漫画も積み上がっています。増えています。
「心の復興」の概念・コンセプトが安達奈緒子による令和版手塚治虫『ブッダ』だと仮定した場合、まとめコーナーに仕込みすぎなほど仕込んでいます。
気仙沼編に入り、伊達さんが虎のぬいぐるみを抱え、手をにぎにぎしながら、虎=ブッダを主張してきたように見えました。
5.「火の鳥太陽編」も仕込まれていそう
手塚治虫「ブッダ」で「心の復興」を描くならクライマックスが盛り上がりに欠けるな…と観ていました。また、根底に亮とモネの愛の物語が敷かれてはいるなぁーとも観ていました。
この根底に敷かれる「亮と百音のソウルメイトの愛」…
これって「火の鳥太陽編」なのでは?
根底に敷かれる愛だけでなく、価値観や文化に対する考え方も…
こちらは仮定として裏付けを拾い始めている段階です。見守り中。眺め中。
ですが、107話まで観て…
『火の鳥太陽編』と『ブッダ』の2つを組み合わせたものが「おかえりモネ」だと真剣に捉えはじめています。
役割は次の通り↓
●「心の復興」と「どう生きるか」がブッダ→登米東京>気仙沼
●「価値観の対立」「新しい未来の創造」「ソウルメイトの愛」が火の鳥太陽編→気仙沼
気仙沼でも「ブッダ」が表に置かれていますが、登米東京のブッダから気仙沼の火の鳥へ徐々に比重が移っているようにも見えます。
69話の朝岡&耕治の「土地ではなく人ですね」の話は火の鳥太陽編に繋がる回。
1話からちょこちょこ挟まれる「太陽」のシーンが火の鳥太陽編ラストへ向けて根底に敷かれた仕込みかなぁ〜とみています。
「おかえりモネ」では「水の循環」の中の「太陽」をそこに存在するだけでエネルギーを与える大切な存在として扱っています。
「火の鳥太陽編」はその名の通り「太陽」が大切な役割をしていますし、そもそも「火の鳥」は太陽の化身です。
ソウルメイトである亮とモネもお互いを「太陽」の役割として描かれているとの上note考察にも繋がります。
ーー何より、火の鳥は「再生と復興」の象徴の物語。
太陽編は、序盤、〈日本に侵略し幅をきかせている外来の神・仏教〉と〈古来日本から日本人とともに生きてきた在来の神・産土神(神道)〉の戦いから始まります。
〈新しい価値観〉と〈古い価値観〉、〈外からきたもの〉と〈古来から根ざしたもの〉の間では、価値観が異なり、異なる価値観が出会うと衝突が起きる。どちらかが淘汰されたり、2つの価値観が融合することによりその時代にマッチした新しい価値が生まれたりしながら時代が作られる。人類はその繰り返し。
実際、〈東京から帰ってきた気象予報士〉のモネは上記〈外来の侵略者仏教〉と同様の立ち位置です。それを〈漁協や家族など土地でずっと過ごす人たち〉の価値観とどう融合していくかが、ポイントになりそうです。
この対立構造は、モネと気仙沼の人々で何パターンも作れそうです。
漁師の天気読みvs.最先端データと理屈振りかざした気象予報士
地元の風習vs.正論気象予報士
気仙沼の価値観vs.東京の価値観
…
おかえりモネの傾向的にオマージュぐらいは入りそうかなと観ていた時期もありましたが、ブッダと並行してコンセプトとして機能しそうな予感がしています。根底に流れる手塚哲学は同じですから。
ちなみに「火の鳥太陽編」ではラスト数ページでソウルメイトの2人が時代を超えて結ばれ「太陽」に向けて飛び立っています。(一体化している?)
火の鳥太陽編について説明しているページ↓
後半の概念とメッセージの説明が素晴らしいです。
106話時点、永浦家や漁協で立派な「神棚」が主張してくるたびにしつこく「火の鳥太陽編」きた?きた?とドキドキしています。条件は着々と積み上げられてる気が…
外来仏教の侵略と戦う在来産土神(神道)…そこから生まれる新しい価値観。
ここまで説いてきたブッダの立場と対立させ疑問をなげかけるスタイルもなんとなくこの脚本家さんが好みそうな気がします…
そして、こう締めくくるのではないでしょうか。
私はあなた方に心を込めて人の生きる道を説いた。いつもいうようにこれからはあなたたちひとりひとりの自分の問題なのだ。(手塚ブッダ)
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●ブッダエピソードが関連している考察はこちら↓