「おかえりモネ」〜菅波光太朗の人物像考察
「菅波光太朗」…モネと1話から登米で出会い並走している「菅波光太朗」。医者、サメ大好き、ホルン患者がトラウマ、右脳が弱い…特徴は多いですが、意外と与えられている情報が少なく人物像が漠然としています。ただ、どうみても「おかえりモネ」のキーパーソンです。
坂口健太郎が繊細に作り上げたキャラが素晴らしく愛らしく人間味を与えていて気になりにくいですが、彼の背景を読み解くことも「おかえりモネ」を理解するのに避けて通れないと考えたので、深掘りし、整理していきたいと思います。
菅波光太朗の背景を推察する
(73話)で菅波先生は外科を選択した理由を語っています。大学病院の外科といえば成績優秀者がその席を争う花形の医局です。その外科を選んだ理由を次のように語っています。
菅波「僕は、患者さんと接するのは苦手だと思ってきました。
人の感情は割り切れないし、ころころ変わるし・・・。そういうものを推し量りながら治療するのは、僕のような人間にはハードルが高い。外科を選んだ理由の一つでもあります。」(73話)
一方、登米では医者の道を志した前向きな気持ちも語っています。これも確かな気持ちだと思います。
菅波「人の命を救いたいと思ったからです。普通すぎて面白くない。すいません。余計なこと言いました」(3話)
ただ、人の命を救いたかったが別に医者にこだわっている訳ではなかった。他の職業を選択する権利を持っていると自分で気づかず、漠然とした「命を救いたい」という思い以上の理由はなく医者を選択し、消去法で専門を選択してきたと(10話↓)の父親のエピソードから伺えます。
「そもそも何も見つかってないのに悪びれもせず父親にたんか切るとか…僕にはできません(10話)」
このことから、菅波はただレールに乗って現在地にたどり着いただけかもしれません。
「中学・大学受験戦争勝ち抜き→花形大学病院外科医入局勝ち抜き→そう思ったら昇進競争の世界」…元来よっぽど「外科への志が高い」か「競争好き」じゃないと生き抜けない世界。菅波は「勉強が好き」だけど「競争は苦手」なタイプかと。「勉強が好き」だから得意な故、立ち止まれなかった。それは「親が喜ぶから」かと推察できます。
亮は震災があり一時的に新次が彼自身をみてくれなくなり悩んでいたけれど、震災前は両親や地域の大人溢れんばかりの愛を受けていました。
菅波は幼少期から親に成績ばかりを期待され、本当の彼を見てもらえなかった可能性も考えられます。だからガサツで開けっ広げな「愛」(=中村先生・耕治)と向き合うのが苦手だったのかも。
それらを裏付け…とまではいかないけれども、否定もしない家庭環境が菅波本人から語られています。
●菅波父親像
菅波「それでまだ何か見つけたいとかここの人たちに失礼です。そもそも何も見つかってないのに悪びれもせず父親にたんか切るとか・・・」
(回想)百音「私もこっちだって自分で決めたい。そういうものを見つけたい」
菅波「僕にはできない。甘えてますよ」(10話)
●菅波母親像
百音「でも先生だって光太朗さんって呼ぶと顔、こんなにして嫌がるじゃないですか」
菅波「母親がそう呼ぶんですよ」
百音「そうでしたね、光太朗さん」
菅波「やめてください百音さん。まあ、とにかく行きましょう」(87話)
上記(10話)で「何も見つかってないのに悪びれもせず父親にたんか切るとか僕にはできない。甘えてます」から、彼はあらかじめ決められていた道を言われるがままに歩んでいた。特にやりたいこともなかったから、反発するって選択肢があることなんて思いもよらなかった。
母親が「光太朗さん」と呼ぶことから、子供への期待が親族から寄せられ母親自身も息子の成績や将来を背負わされている環境にあったのではないかと想像できます。単純に想像するなら医者家系ですよね。多分。
さらに「東京出身」で核家族中心のエリア。「地元が居心地いいとは限らない(11話↓)」からも亀島みたいな地域からの愛も受けられる環境になかった菅波は、無償の愛的なものを感じることができずに育ったのではないでしょうか。(ご両親は全力で愛を注いでいとしても、菅波にはそう伝わっていなかった)
菅波「意外と、帰りたくないとか?」
百音「何でですか?」
菅波「地元が居心地いいとも限らないでしょ?」
百音「家族には会いたいです。あっいえ・・・」
菅波「まあ、せいぜい甘やかされてきてください」(11話)
そんな中、初めての挫折をホルン演奏者の診察判断ミスで経験した。
ホルン奏者の人生を奪ったことがもちろん彼の中のトラウマとなっていますが、失敗したことがなかった彼が初めて「間違えた」経験だったのかもしれません。この境遇の人にとって「間違える」ことは「恐怖」です。
通常外科医がこの程度の経験で「トラウマ」を背負うことは設定として考えにくいです。でも彼には背景がありそれがトラウマを引き起こした。
中村先生はそれを察して、菅波を「地域医療を通して地域のつながりの中から愛や温もりが得られる登米に送り込んだ」のではないでしょうか。
そのことが読み取れるセリフが(21話)にあります。
菅波「中村先生は、本当に「ブラック・ジャック」を読んで医者になったそうですから」
百音「先生は、中村先生に頼まれて登米に通うようになったんですよね?」(21話)
手塚治虫「ブラックジャック」は天才外科医が主人公の「医療と生命」をテーマにそれぞれ据えた医療漫画です。
そのブラックジャック本人は心の病を持っていました(エピソード「けいれん」)。
ブラックジャックは、自分が幼い頃に経験した「弁状気胸」のとてつもない苦しみのトラウマから強迫観念が出て、「気胸」の手術をするときだけ、無意識に手が「痙攣」し手術ができません。だから医師免許を取れなかったとさえ本人が言っています。医大時代の恩師が「これは苦しい思いをした思い出がフラッシュバックしてしまうためだ」と突き止め、彼を治すためと半ば強引に(自分が倒れる芝居も交えて)、トラウマである気胸の手術をブラックジャック本人にさせました。ブラックジャックはこれに成功し自信を取り戻し、このエピソードでトラウマを克服しています
ブラックジャックを読んで医師を志した中村先生も菅波の苦しみの原因を突き止め、彼を治そうと半ば強引に登米に送り込んだのではないでしょうか。
「送り込まれたブラックジャックが菅波」…それを示唆する会話が↓この謎のウソなのではないでしょうか。
百音「じゃあ先生はお医者さんになろうと思った時、最初にどんな本を読んだんですか?」
菅波「「ブラック・ジャック」です。うそです」(21話)
トラウマを抱えて登米に来た菅波は、偶然にもモネと出会い、「トラウマ回復のニコイチ」として自助グループ活動(同じような傷を負う者がグループとなり、感情を共有しながら心の傷を癒していく治療)を行っていきます。(詳しくはこちらのnote↓)
菅波とモネは2人で過ごす時間そのものが、2人の「心の洗濯」になっています。
そして、菅波は心の洗濯を登米・東京と順調に進め、鮫島をモネとサポートする段階で心のバランスが整い雨が降った。青空の傘をさせた。(62話)(心のバランスと雨についてはこちらのnoteにまとめてます)
その後、(65.66話)モネにトラウマを吐露してモネの「手当て」を受け、手から心に伝わる「あたたかさ」に救われています。
菅波「人の手というのはありがたいものですね。大丈夫です。」
(モネが菅波に手当てする場面)
菅波「「菅波先生が言うんだから大丈夫だ」って。バカですよ。親身になって言ってくれる先生の言うことだから信じたい。そんなどうでもいいくだらない感情を優先して彼は、経験も実績も何もない方の医者の言うことを聞いて、それで・・・。人生賭けてきたものを一気になくした。いや、そもそも、僕が冷静に判断していたら、彼は今頃また舞台に立っていたかもしれない」(俯き、一点を見つめる菅波)(側に立ち、菅波の背中を撫でる百音両手で撫でる)(一点を見つめ手のぬくもりを感じている菅波)
菅波「人の手というのはありがたいものですね。大丈夫です。」
百音「すいません」菅波「あっ、いやそういう意味じゃない」
菅波「すいません感情的になってしまいました」
百音「すいませんこちらこそ。つらい話をさせてしまって…」
菅波「つらいのは僕じゃないんです。生き方を変えなきゃいけなくなった彼の方です」
(洗濯ものを取り出す)菅波「それじゃ」
百音「先生」(テ-ブルに忘れた資料)
百音「これ」(資料を受け取り、まっすぐ百音の目を見る菅波)
菅波「ありがとう」(微笑み)(65.66話)
この最後の「ありがとう」がとにかく癒しを得た、極上の微笑みでした。坂口さんの演技力とライティングの力もあり、ネットで話題になるほどの神々しくさえある微笑みでした。
モネの「手当て」で人の温もりのありがたさを感じた菅波は、今後どう受け入れていいのかわからないでいた登米の温かさも受け入れていき、彼の本当のいる場所になっていきそうな気がします。(実際、東京編後半では登米に馴染んでいっていました)
そして、それは菅波がようやく「自ら」自分の未来を「選択」しそれを全うする「覚悟」ができることを意味します。
また、別考察にて「おかえりモネ」は「手塚治虫『ブッダ』」をコンセプトとしているとまとめています。それを踏まえて〈「手当て」から菅波の「ありがとう」の微笑みまで〉を見ると、菅波の背景と重なるエピソードがあります。↓
この内容と対応させても、上記菅波の家庭環境の推察につながるなぁ〜と眺めています。
菅波の行動の違和感「カウントダウン」と「忘れ物」
菅波光太朗は独特の言動がそのキャラクターを作り上げています。その中でも違和感があったのが、洗濯時間=話せる時間をやたら「カウントダウン」することと「忘れ物」をすること。それぞれ前後の話から考察すると役割がありそうです。
ー「カウントダウン」は、心の治療(心の洗濯)の区切りまでの話数を示唆するしているようです。こちらにまとめました↓
ー「忘れ物」は菅波が抱えている心の問題のひとつ
以下を読み解くと、「忘れ物」は上の菅波の背景で読み取れた心の問題のひとつだとわかります。
結論から言うと、
菅波は心の問題を2つ持っていました。
それを順番に治療(心の洗濯)しています。
ーー菅波の心の問題
①忘れ物をみつけること
②右脳を鍛えること
②は本人が明言しています。①は菅波の「忘れ物」が彼の心の問題をさしているようです。
ーー菅波は2回、忘れ物をしています。
●23話「聞き取りノート」
最初に菅波が「忘れ物」をしたのは(23話)登米のカフェでモネが1人で気象予報士のテキストと向き合い悩んでいるところに、菅波が忘れ物「聞き取りノート」を取りに現れます。そこでモネが行き詰まっている「雲ができる仕組み」について説明をするために「コップの実験」をします。
コップの実験で「菅波とモネのトラウマ回復のための自助グループ活動」が成立します。2人で心の傷に向き合い洗い流すことを示唆しているシーンです。(詳しくは上のnoteに記載しています)
●66話資料
2回目に忘れ物をしたのが、(66話)ホルンのトラウマ吐露後に手当てを受けた時です。
菅波「それじゃ」百音「先生」
(テ-ブルに忘れた資料)
百音「これ」
(資料を受け取り、まっすぐ百音の目を見る菅波)
菅波「ありがとう」
この時の菅波は上述した通り、(65.66話)モネにトラウマを吐露してモネの「手当て」を受け、手から心に伝わる「あたたかさ」に救われています。
ーーー
以上のことから、「忘れ物」について次の2つのことが読み取れます。
23話〜66話は菅波が人として忘れていた「人のあたたかさ」を取り戻す期間だった。
菅波の忘れ物は「人のあたたかさ」
これは上記、菅波の背景推察でわかった菅波の抱えている問題に繋がります。
「菅波光太朗」名前の由来考察〜日光黄菅
彼のバックボーンを踏まえて、菅波先生は「人との繋がりを育むため」に、登米に行き「登米の人」になっていく可能性も…と考えはじめたとき、私が脚本家で菅波光太朗のことを大切に考えているなら、彼のために「あなたのいる場所はここなんだよ」と安心できるものを与えたいと。それは彼のアイデンティティを象徴する名前しかないと思いを巡らせていたら、ひとつ確からしいものに行きつきました。
ーー「日光黄菅」
登米に自生する高山植物です。「あなたのいる場所はここなんだよ」と表現するのにぴったりかと。しかも花言葉は「日々あらたに」「心安らぐ人」。彼の心の根っこを癒す思いのこもった名前に思えてきました。そして、何よりの重要ポイント「黄色い花」であることを条件に探していましたが、日光黄菅は花の色だけでなく名前にも黄色を持っていました。
▼ニッコウキスゲの特徴 →(意味づけ)
・登米自生の植物 →(登米に根付く)
・高山植物 →(森林(組合)関連)
・群生する性質 →(人との繋がり。菅波の「波」は群生するという意味も)
・花言葉「日々あらたに」「心安らぐ人」→(上記菅波の根っこに繋がる)
・【黄色】→(別考察で太陽。力を与えるアイテム)
・別名「ゼンテイカ」は中禅寺の庭から命名→(別考察で「ブッダ」繋がり)
・登米すぐお隣の栗原市の市花。大群生は全国的に有名。
(高山植物だけど気仙沼にも群生してるそう)
・ワスレナグサ科→上記「忘れ物」の考察繋がり
——なぜ「黄色い花」であることが重要かは、菅波は【「黄色」のアイテムを持たない人】だったから。その理由は↓こちらのnoteの考察が前提になります。
亮と菅波は表面的に黄色のアイテムを持ちません。
なぜか。それはモネへの影響力の差を隠すためだったのではないでしょうか。
結果、菅波は名前に【黄色】を持っていたことになります。上記色の考察から、菅波はモネや登米の人たち、サヤカに影響をあたえていたと受け取れます。さらに菅波は医者なので常に患者に生きる力を与えている存在でもあり名前に【黄色】があることも頷けます。
ーーサヤカさんの本名が80話龍己へのFAXで明かされます。
FAXには「新田清花」と記載されていました。新田は登米市にあるJR東北線最古の駅名「新田駅」からだとすると、サヤカ=登米に根付いた清い花。
菅波先生の名前の由来も花由来なので裏付けのひとつになります
ーーそして、なぜ80話まで「サヤカ」とカタカナ表記にしていたのか
花由来だということを80話まで隠しておきたかったのではないでしょうか。それは、菅波が登米に根付くことを80話まで勘づかれたくなかったからだと、菅波が同80話で登米選択をモネに告げていることからも推察されます。
菅波「あの、僕は、大学病院は離れようかと思っています」
菅波「登米の診療所に専念しようかと。あ・・・少し前から思ってて、あなたに、相談しようと思っていたんですが・・・」(80話)
ちなみに登米人物で花由来がいないか一覧を見ていたら、花逍遥(花を見ながら散歩すること。花見がてらにぶらぶら歩くこと)…という言葉がよぎりました…翔洋さん…?これはなんとなく。
(参考)
「印象派クロード・モネ」は「光」を頼りに絵を描いていますし、
「手塚治虫ブッダ」で「光」はブッダの導きの象徴でもあります。
モネにとって菅波「光」太朗は頼りになり導かれる存在であることも確かです。
「菅波光太朗」名前の由来考察〜月光
「おかえりモネ」ではひとつの事象やエピソードにダブルミーニングどころか三重・四重と意味を持たせていることが多々あります。
それはこの物語が循環の物語であり、回想で出てくる何度も何度も繰り返されるセリフから読み取れる「あらゆるものがつながりを持っている」ことを表現しているためだと思っています。
龍己「その山の葉っぱさんたちが海の栄養になんのさ。山は海と繋がってるんだ。なんも関係ねえように見えるもんが、何がの役に立つっていうことは世の中にいっぺえあるんだよ」
菅波の名前の由来も複数の意味づけがなされているのだろうなと思っています。
「印象派クロード・モネ」は「光」を頼りに絵を描いていますし、
モネにとって菅波「光」太朗は頼りになり導かれる存在である事もそのひとつだと思います。
その中で、光太朗の「朗」がなぜ「郎」ではなく「朗」なのか。を考えていました。
これは彼が「月」の役割をするからなのでは?しかもモネを癒す「月の光」なのでは?
別考察にて、モネにとって亮は「太陽」の役割をしているとまとめました。
モネにとっての「太陽」と「月」。どちらもかけがえのない大切な存在だといえます。
こちらはまた別noteに整理していきます。
↑
モネにとっての存在・役割の対比だと読み取っています。
どちらもモネにとってかけがえのない大切な存在だといえます。
↓
●菅波とモネの関係
菅波とモネの関係はこちらのnoteにまとめました。