8月31日のこと
私には毎年、こころがざわざわする日が2日ある。
1つは3月11日。生粋の東北人なので、ね。それについてはまたどこかで。
もう1日は、8月31日。夏休みの最後の日。
ちょっとだけ昔話。
高校3年生の秋。朝、電車に乗って学校に向かう途中、電車がいきなり止まった。何かにぶつかったらしい。
「人の足のようなものにぶつかったと情報があります。現在安全確認を行っています。…」と車掌のアナウンス。しかしそこはド田舎だったので、そんな大げさな…長靴か動物の足だろう。あーあ、学校に遅刻するなー。なんてぼんやり考えていた。1時間ほどして、電車はやっと動いた。
そしてその日のうちに、それが人身事故で、ひかれたのは中学の後輩だということがわかった。
その子とは小学校〜高校までずっと同じ学校だった。小学生のときはよく一緒に遊んでいたけれど、中学生のときくらいからはすこし疎遠になっていた女の子。可愛くて、みんなから好かれていた優しい子。
私が乗っていたその電車が初めてひいたわけではない、ということもわかったらしい。
なぜ彼女がその道を選んだのか、いろいろなうわさはあったけれど、詳しいことはわからない。し、本当の本当の本当のことは、彼女の心の中にしかなかったのかもしれない。
彼女がいなくなってしまったことは信じられなかったし、というか今も信じていないし、どこかで元気に暮らしていて、そのうちひょっこり出てくるんじゃないか、なんて思っている。
それでも、ふと考える瞬間はある。
彼女は自分の選択に満足しただろうか。
あのとき、どれほどの希望と絶望を持って、
彼女があの無人駅のホームに立って見ていた景色は、どんな景色だったのだろう。
8月31日は、夏休みの最終日。9月1日は、10代の自死が一気に増加するのだそうだ。8月31日の夜には、決心させてしまう何かがある、ということらしい。
自分にも少なからずそんな瞬間はあった。それでも、おとなになってから、生きていて楽しいことってたくさんあるんだな、と実感した。
だからできるだけ多くの子どもたちにおとなになってほしいし、できればおじいちゃんおばあちゃんになってほしい。
私は多くの子どもに寄り添いたい。けれど、私の体は1つしかないので、子どもに寄り添ってくれるおとなが世の中にたくさんいればいいなって思っている。
寄り添うことって「ちゃんと見ているよ」って伝えることなのだと思う。
全てがうまくいくわけじゃないにしても、普段の様子とちょっと様子が違う場面があれば気に掛けることとか、そういうちいさなことが大切なのだ。きっと。
あの日から10年以上経った。彼女がどこかで今、笑えているといいなあ。
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