人の視線は凶器になる
どうも、noteって楽しいですね。
前回の続きです。(続いてない)
私が不登校になる前、学校に毎日ちゃんと行っていた頃起きた事を書きます
まずは色々私についてです。
保育園の頃は凄くやんちゃで、同級生の子と毎日喧嘩して引っ掻き傷など作って家に帰ってました。
そして小学校低学年の頃もばっちりやんちゃでした。(Gを上靴で叩き潰すくらい)
高学年では5、6年で応援団に入ったり団長になったり委員会で会長になったりしてそれなりに目立っていました。
小学生の頃は友達や先生方、家族に恵まれ凄く楽しかったです。
他にも近所の幼なじみが小4から不登校になり、その頃の自分はちゃんと行けてたのでなんで学校行けないの?って思ってました。
後に自分も同じような事になるのに…
そして地元の中学に上がります。
中2の2学期まではちゃんと部活をしたり、学校に毎日通っていました。
中学でも小学校から仲良い子とずっと絡んでいました。中学で新しくできた友達はほぼ0人でした。
今考えると保育園小学校ほぼ全員一緒だったので友達を作るってことがよくわかってなかったんだと思います。
吹奏楽部に所属し、楽器決めの時にもちろん色々あり同パートの同級生とは仲が悪かったです。
色々話して長くなりましたが本題らしき出来事について語ります。
文化祭準備の頃、中2はポスター制作でクラスみんなで塗っていました。
そして私は喉が乾き、ペットボトルの水を飲もうとしたら何故か上手く飲めなくて全部吐き出して噎せてしまいました、するとクラスの人が私のこと何事だ?って感じで見てきたのですが
それが私は凄く怖くて、その次の日は学校を休みました。
みんな忘れてるはず、行ってみようって思い登校したらクラスの男の子2人組が私の後ろで吐いたやつだ、キモ。って言ったのが丸聞こえでもう学校に行くのが怖くなりました。
そこから人の視線が怖くなり学校を休みがちになりました。
母親は教師なので色々理解してくれていましたが、学校に行って欲しいからと自転車通勤を車に変え、わざわざ私を車で送ってくれました。
感謝しているのですが、学校では皆が歩いて登校しているので車でくる人はズルいって、沢山見られました。
それも怖くなりもう行きたくない、登校前の朝にお腹が痛いと言ってトイレにこもりプロセカをしていたのを覚えています。(惨め)
母親は1人じゃ無理って家の近所のお母さんを呼び私を引っ張り出して学校へ行かせようとしたり、時々叩かれたり、大変でした。
2ヶ月くらい親や大人たちと戦ってたらもう諦めてくれて完璧に不登校になりました。
お母さん、こんな娘になってごめんね
私に言うのを諦めて出勤する時車の中で泣いてたよね
私も人の目が気にならなければ、上手くコミュニケーションが取れていたらこうならなかったんだろうなって思うし
ちゃんと休まずに行ってたら今こんなに困ってないんだろうなって思います。
色々省いたのですごい文がおかしいかもしれませんが気合いで読みとってください‼️
不登校は逃げ、ズルい、サボり
言われがちですが、なったらなったで凄い人生詰んだな終わったなって思いますし、思い詰めて死にたいとも思ってしまいます。
中3の今も何かあったら死ねばいっか〜〜!!!!っていう気持ちで生きてます。
どうせ死ぬのは怖くて出来ないだろうけどこの気持ちでいると楽です
今も人の目が怖いです。
超能力は持ってないから人は自分が思ってるのとは違うことを思ってる可能性はありますが、悪い方に考えすぎて動けなくなってます。
何も考えずに動けたらなって凄い思う
高校で頑張って怖いのを克服していきたい
頑張れ私😾😾😾😾
1400字も読んでくださりありがとうございました。
また2日後くらいに新しいのを出すと思うので良かったら見てください♪
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?