この世界のルールが分かってきた
こんにちは、QoiQoiの大橋悠太です。
今回は世の中のルールや決まり、法則について考えてみました。
最近コロナの影響で、初めて確定申告したり国の制度を調べたりと、慣れない中をもがいてみて改めて思ったことでもあります。
目次
1、世界は“既に始まっているゲーム”である
2、ルールは常に勝者によって創られる
3、僕ができることはなんだ?
4、まとめ
もしかしたら、当たり前の人にとっては当然の話かもしれませんが、自分の整理のためにも言葉にしてみようと思います。
ではいきます。
1、世界は“既に始まっているゲーム”である
小さい頃、僕は漠然と「世界は自分がいるから存在してる、自分を中心に世界は回っている」と思っていました。
小さい頃は自分、家族、友達、近所の人ぐらいしか知らず、自分の眼の届く範囲の事しか知らなかったし、知るすべを持たなかったので当然ではありました。
【自分が見たもの知ってること=世界】だったのです。
しかし時が経ち、本やニュースやネットを通じて過去の歴史や世界で同時多発的に起こっている事件や出来事に触れるうちに、自分の知らない世界が存在していることに気が付きました。
僕は小さい頃から歴史が好きだったので、時代小説を読んだり、戦国武将を伝記を読んだりしていました。
その時代の人物になったつもりで、人生を妄想したりして楽しむ一方で、考えもしない発明や制度や技術を知る度に、その歴史がいまを生きている自分に繋がっている気がせずに、違和感として残っていました。
なぜなら昔の人が遺してくれた、失敗談や良い教訓や良い制度をしっかりと役立てていけば、いまよりもっと良い世界が出来上がるはずなのに、自分の生きてる世界はなんだかそんな気がしない。
どう考えてもいらない伝統や学校行事が残っているし、礼儀作法や習慣もただ「今までそうだったから」という理由でやらなければならない。
そしてこんなルール作ったやつは誰だ!? と思い調べて分かったのは「どうやら自分や他人が当然だと思ってるルールや認識は過去の誰かが作ったものらしい」しかもそれは勝者によって上書きされているということでした。
そして自分はそうした出来上がった世界に参加してるプレイヤー1でしかないのだ、と言うことを知りました。
2、ルールは常に勝者によって創られる
そうした視点から眺めてみると、確かに自分がいま生きている世界のルールや制度、常識というのはこの時代の勝者や強者に向けて最適化されています。
僕が小中学生の時に思ったことで言えば、学校で学ぶ体育は戦争訓練の名残りだし、起立・礼・着席も「人によって態度を変えない」「嘘はつかない」「大きな声で元気よく」とかも、一つ前の時代に必要だったものだろうと思っていました。
「僕が好きな戦国時代に、そんなルールは存在しねぇ」と思っていましたし、「ルール守るだけじゃ生きてけねぇだろ(戦国の世なら)」と思ったものでした。
こうした認識がはからずも更に強くなったのは、コロナウイルスの大流行によってでした。
コロナによってロックダウンや自粛期間があり、活動が全てストップになった今年。
多くの人が物理的にも経済的にも生きるか死ぬかの状況まで追い詰められました。
その中で支援が間に合わなかったり、制度そのものを知ることが出来ずに涙を飲んだ命がどれ程あったのか考えざるを得ませんでした。
いまの世界(資本主義)はお金を稼げる人達を優先して助けるようになっている、それがこの世界の成長とって一番の正解だからです。
僕らも自分の生活と、自分達の活動をどうやって守っていくかを必死に考え、出来ることを全てやる覚悟で勉強したり、調べたりして国の制度や自治体の支援事業に向き合いました。
その中で慣れない書類を書き、資料を揃え、文言も形式ばった書き方に直していく作業はとにかく疲れます。これこそまさにルールを作った側に自分を合わせていく作業な訳ですが、ふと思ったのは「こんなに複雑にする必要ある? だったら最初から教えてくれよ」と言うことです。
僕は人に合わせることが得意な方なので、自分を他人のルールによって変えていくことに耐えられるのですが、それでもコロナ禍で自分を変えることを要求してくる世界に対して、暴力性を感じました。
学校時代にもきっとこういう事をいくつも感じていて、「学校に来なくなったあの子はこの暴力をずっと感じてたのかな」とふと思ったりしました。
3、僕ができることはなんだ?
話を戻します。
やっぱり世間でも同じように現状の制度設計に疑問を感じる人達がいて、必死に声をあげたことで実際に制度が緩和されたり、新たに作られたりする変化を時に自分も参加しながら間近で見ていて、作られたルールは変えられることを実感しました。
政治家など職業問わず、この世界のプレイヤーひとりひとりが声をあげることで、変わる未来があると知りました。
世界は自分中心に回ってないし、僕ひとりではなにもできないけれど、意思は表明できる。
理不尽なことや不条理に対して、「自分がいけない」と責めることや我慢は止めて、小さくても言葉にしていきたいと思いました。
4、まとめ
長くなりましたが、ここまでお付き合いくださりありがとうございました。
いままで生きていて思っていたことと、コロナ禍での体験が繋がったような気がしたので書いてみました。
僕自身が大きく旗を掲げて「世界を変えるんだ!」と主張するつもりはないのですが、そうした社会の動きや、そこからどうしてもこぼれてしまう個人などを、自分がやっているアートや芸術によって浮かび上がらせることはできるのではないかと思っています。
それがより良い世界のルールに貢献することを信じて、明日も作品を作ります!
今日はこのあたりで。ではまた。
QoiQoi 大橋悠太
QoiQoiプロフィール
2018年2月9日に大橋悠太と吉次匠生によって結成されたアートユニット。 当初はano(アノ)として活動していたが、2020年10月1日より団体名を改めQoiQoi(コイコイ)として新たな活動を始めている。
また、「想像力を創造する」を信念に演劇、映像、インスタレーションなどさざまな分野を飛び越え作品制作を行う。団体名のQoiQoiもquality of imaginationが由来である。 また、社会問題から個人の体験まで幅広い事象を可視化し、常に観客に「当事者性」を提示する作品作りが特徴である。
このnoteでは作品制作のことを中心に、被災地のことや原発のこと、その他考えたことなど、読んでくれている方へなるべく為になるような記事や僕らをより知っていただける記事を書いていくことを目指しています。
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