見出し画像

月経のデザイン2〜個人最適化に着手するまで〜

エロくない下ネタシリーズ。
私は限界インハウスUIデザイナー。開発体験を上げるには、何を改善すれば良いかを考えたいたときに、月経の存在に思い至った。

個人の幸福ではなく生産性を目的に見ていくので、表現が無機質になっている。(お約束とはいえ)Twitterで感情的な言い合いを見て嫌になっていた所なので、ちょっと引いた目線で書いてみる。


今回は前回の続き


個人最適化の前提

月経の課題を考えたとき、朧げに浮かんできた言葉「個人最適化」

Webサイトやサービスなどで均一的な内容を提供するのではなく、利用者に合わせた内容を提供する「パーソナライゼーション(個人最適化)」

https://gigazine.net/news/20170816-why-personalization-projects-fail/


切り捨てられる既存要件

私はUIデザイナーなので、UIデザインと同じように考えてみる。UIデザインの改善で一番やってはいけないことは、「改悪」とユーザーに言わせてしまうこと。当然だが人はそれぞれ違う。開発者が「改善」をおこなった場合、大多数のユーザーに「改善された」と思ってもらっても、「改悪だ」というユーザーも一定数存在してしまう。

私などは、Twitterのハートを今だに「ふぁぼ」と言ってしまう。(正しくは「いいね」)一度染み付いた習慣を変えるのは、ユーザーにとって障害になり得る。しかし、いつまでもTwitterで「ふぁぼ」とか「垢」とか言っている老人に合わせていたら時代が進まない。時代を進めるという決断も、長い目で見れば一定必要だろう。また、ビジネスとして提供している以上、一定許容してもらわないといけない場面も正直ある。月経という社会規模の話になると話は違ってくるが、制度や予算の使い道に変化を加える場合、ハレーションは起こって然るべきだとは思う。

しかし、デザイナーとして物事を見た場合、強引に既存要件を切り捨ててしまうことには抵抗感がある。例えば、私たちの社会に属している人全員に、「月経について理解しろ」という要求を押し通す場合、(大袈裟に言えば)今まで月経のことを考えずに済んでいた人の生活を脅かす。言い換えると、「月経がない人が月経のことを考えずに済む」という既存要件を切り捨てることになる。その是非は置いておくとして、何かを変えるときには、既存要件を意識しておく必要がある。


自由の制限

UIデザインをしていると、ユーザーの自由について考えさせられる。

例えば、noteの編集中にページを閉じる操作をすると、「このページを離れますか?」というモーダルダイアログが表示される。このモーダルを表示すると言うことは、「さっさと画面を閉じたい」というユーザーの自由を制限し、「間違えて画面を閉じてしまう」という人為的ミスを防ぐことを優先している。

他の例を出すと、ATMで現金を引き出そうとすると、必ずキャッシュカードが現金よりも先に出てくる設計になっている。これは、現金を入手するという目的を果たしてATMから意識が逸れる前に、キャッシュカードを受け取らせて取り忘れを防いでいる。「いち早く現金を先に受け取れる」という自由を制限し、「キャッシュカードを忘れる」という人為的ミスを防ぐことを優先している。

飲み物の自動販売機は、現金を先に入れなければならない物と、飲み物を選んでからお金を入れても良い物がある。真意は分からないが、想像するに昔は「手持ちの現金に応じて飲み物を選べ」という意図で設計されていたが、スーパーやコンビニで買い物をする時のように、自由に商品を選んでから対価を払う方が、ユーザーのメンタルモデルに合っているだろう、という改善が行われた結果だと思われる。(って以下の記事を読んで思った)これは、「飲み物を先に選んで良い」という自由を制限する必要がない、と判断された事例。

この問題は、デザインを考える時の制約に関わってくる。いくら良い手段を見つけても、社会がそれを容認しない場合、取れる選択肢が限られてしまう。

人は間違いを侵す。間違いを防ぐデザインをしなければならない。しかし、間違いを防ぐことで別の問題が発生しているケースもある。そのバランスをどう取っていくかが問題だ。



データとインサイトに基づいているか

何度でもいうが、人はそれぞれ違う。したがって月経のある人、ない人、症状が軽い人、思い人という集団で一括りにして、その環境・状況、感情・思想を断定してはいけない。

※ユーザーリサーチの話もいずれ書く。



月経のチュートリアル

月経について考えるには、多くの人が月経についてどこで知識を得ているかを探る必要がある。それによって意見も異なってくるはずだから。同じアプリケーションを触っていても、別々のチュートリアルを触っていたら、見え方が異なるのと同じような物だと思う。

チュートリアルの全体像

生理については「小学校での教育」45.1%や「中学校での教育」32.3%と、学校教育で学んだ人が多くなっています。

一方、PMSについては、小学校5.6%や、中学校6.5%などの学校教育で学んだ人は少数で、「webやSNSで自分で情報収集」(20.5%)している人が多くなっています。また約半数はPMSについて「学んだことはない」52.7%)と答えており、女性の約3割34.9%、男性では70.0%がPMSについて学んだ経験がないことがわかりました。

2022年1月27日(木)~ 2月1日(火)15歳~49歳の生理を経験した人6,000人(インターネット調査)https://kyodonewsprwire.jp/prwfile/release/M104826/202203038129/_prw_OR1fl_8Fb3qD3A.pdf p7


小学校での教育

ここまであえて書いてこなかったが、私には月経がある。月経がある人間は小学校の頃どんな教育を受けたのか?

(多分小4くらいだったと思う)学校で女子生徒だけが呼び出され、生理用品メーカーが作成したパンフレットに沿って月経の解説をされる。

人体の詳細は割愛され、初潮が来たら何をすべきかということを扱った。「教科書」というより「マニュアル」の性格が強い。


中学校での教育

中学生になると保健体育で、身体の構造や性交に関する注意の授業が始まる。ここでは小学校とは逆に「教科書」だけになり、具体的に性にどのように向き合えば良いのか、という「マニュアル」がなくなる。

エストロゲンがどうしたとか、テストステロンが頑張ってるとか、物質名をテストのためだけに覚えるだけ。避妊具の名称も覚えさせられるが、具体的な使用方法の解説はない。性交の具体的方法に関してはR-18コンテンツというエンターテイメントに一任されている。そんな調子なので、月経痛の緩和方法なんて扱ってくれない。「辛い人は婦人科へ行きましょう。以上。」

例えるなら、スマートフォンの内部構造については、よくよく解説してくれるのに、その使い方やメンテナンス方法、エラーが起きた時の対応については、何一つ解説してくれない、という感じ。直感的に操作出来たら問題はないのだけど。


家庭での教育

初経教育は先ほどもふれたように、とてもデリケートな問題を抱えています。それだけに子どもの発育や理解力に応じて、一人ひとりになされることが望ましいのです。
初経については、「学校で指導があるから家庭では簡単に」と、考えている方も少なくありません。でも、学校の初経指導は、クラスや学年単位一括して行われるため、一人ひとりのきめ細かなケアまでは難しいのが現状です。

ロリエ「からだのノート ~おとなになるということ~」おうちの方へ p.23

学校では一人一人のケアまでするのは難しいので、最終的に家庭に任されるしかないのが実態のようだ。核家族世帯も多い昨今、教育はかなりの部分が属人化している。


セルフ教育

学校も家庭も頼りにならない。そこで、インターネットや書籍を通して、自分で自分を教育する人が多いのではないだろうか?どの分野もそうだが、自分で調べた情報だけで知識を構築していくと偏りが発生しやすい。

月経関連の話題を検索していると、「女性の月経関連症状」 を「男性の性欲」 を比較対象として考えているなんて、どこまで理解がないんだ…という苦言をよく見るけれど、教育がセルフサービスなので「まあ、そうなるよね」と。


社会の中で知識が標準化されていないので、議論が進まないのは必然の結果でしかないと思う。学ぶ必要があることを知らない人に、自己責任で学習しろ!というのは無理な話だ。



月経の原体験

自動車免許を取る時、座学と実習がある。いくら机に向かって問題を解いても、実際に運転しないと分からないことが沢山ある。実習でどんな体験をするかが、後の運転手の挙動を左右する。

月経に関してもそうだ。知識の教育以上に、子供の時に月経についてどんな体験をするのかが、その人の月経の体験に影響を及ぼすだろう。月経がない人も含めて。


保護者の経済力と良心に依存した供給

初潮は小学生〜中学生でくるのが一般的だ。すると、保護者の協力なしには、毎月生理用品を入手し続けられないケースが多い。

海外では「生理の貧困」として取り扱い、生理用品が入手困難になった人に対した支援が強化され、日本でも以下の施策が進行中らしい。

日本では、地方公共団体一部の学校や公共施設などで、生理用品を無償提供している(2021年5月19日時点で255団体。検討中を含む)。東京都は、9月から全ての都立学校の女子トイレに生理用品を配置する方針を決定。

https://news.yahoo.co.jp/special/period-poverty/

学校や都教委は生徒にアンケートなどは取っていないため、どれだけの生徒が経済的な理由でナプキンなどを買えない状態にあるかはわかっていません。
しかし、藪田校長は「貧困によるものなのか、便利だからということで使ってくれているのか調査したわけではないのですが、少なからずそういうニーズはあったのだと感じました」と話しています。
〜中略〜
都立学校での生理用品設置で心がけられたのは、「トイレットペーパーと同じように」ということでした。
生理がある生徒にとって、生理用品は必需品です。だからこそ、全てのトイレに当たり前に必需品として置かれているトイレットペーパーと同様、「自然に」配置したといいます。


この施策に対し、反対意見が東京都教育委員会のサイトに掲載されていた。

生理の貧困という言葉を最近よく耳にします。生理用品を買えない家庭の子供のために学校に生理用品を置くというのは、税金から出ているのでしょうか。
 コロナ禍で本当に金銭的にどうにもならない家庭や、親の体調が悪く働けないなどの家庭の子供にはサポートしても良いと思いますが、何でもかんでも与えるのは理解できない事です。親の責任がどんどん薄れていくばかりだと思います。

https://www.kyoiku.metro.tokyo.lg.jp/administration/disclosure/voice/2021/report202106.html

ここで感情を軸に話すと、それぞれの個人の過去の体験や嗜好によって、話が空中分解する。ここからは理屈で話そう。


家庭の所有物、社会の資源

子供の月経体験の改善を、「社会・自治体の責任範囲」とするのか「家庭・親の責任範囲」という意見の差異は、「子供をどう見るか」の差だと思う。

子供をあくまで愛玩動物や家畜と同様に、家庭の所有物として捉えるなら、子供の月経に関する責任は家庭にある。一方、社会から見ると、子供は未来の人的資源といえる。

まだ子供は労働力として機能していないかもしれないが、今、子供が学習していることが、将来の社会の思考回路を形成する。そもそも税金を投入して教育機関を運営しているのは、子供が社会にとって重要な資源だからだ。その教育が、生理用品を入手できず月経によって阻害されているのなら、多少資金を投入して改善した方が、コストパフォーマンスが良くな…る?(どうやって計算すれば良いのか分からんが)

前回の記事でも書いたが、少子化の影響で人材不足が深刻になる中、月経により開発体験が低下し、生産性が落ち税収が減る。これは学業においても同じことが言える。(ちょっと、論理が飛躍している気がしないでもないが)

と、こういう話を、公的な団体の長がした場合「印象」が悪くなり、「失言」と言われて失脚に追い込まれる。したがって、抽象的でふわっとした話しかできないように思う。上記の反対意見への回答は以下。

都立学校では、これまでも保健室において、児童・生徒の必要に応じて、養護教諭等から生理用品の提供を行ってきました。
今般のコロナ禍により、経済的な理由等で生理用品の入手が難しい子供たちがいることが浮き彫りとなっております。
こうしたことから、都では、児童・生徒がいつでも入手できる環境を整える必要があると考え、全都立学校で生理用品を配備することとしています。御理解・御協力いただければと存じます。

https://www.kyoiku.metro.tokyo.lg.jp/administration/disclosure/voice/2021/report202106.html

回答になってなくない?前提を理解している人が読めば分かるが、質問者はそもそも税金を投入することに不満・不信感を抱いている。

しかし、将来社会を支えるのは、今の子供たちであって…とか、月経が学業にこんなに影響していますよという根拠をアンケートで集めたりすると、きっと今度は「デリカシーがない」とか言われたりするのだろう。感情で動く、政治って大変だなあ。

とはいえ、この不満・不信感を放置すると碌なことにならない。この質問者や賛同する人は納得しないまま、賛同する人との対立構造が解消されない。それは、月経がある人・ない人、双方の開発体験・生産性を下げ続ける要因になるおそれがあると思う。

月経がない人も、月経の体験向上により恩恵を受けることがイメージできれば、協力的になるだろうし、次の世代の教育の精度・品質も向上できそうな気がする。今のところ、教育は家庭に一任されているのだから。


課題発見の装置

子供を社会にとって重要な資源として見ると、成長を阻害する要因はどんどん潰していかねば、社会にとって損失になる。

月経に関する課題は経済的貧困だけでなく、以下のような物もあるらしい。生理用品の配布は、さまざまな課題を早急にみつけ、対処するきっかけになるらしい。「必要な衛生用品がない状態が放置されている」ということが、その子供を取り巻く環境のエラーを示している。

「親/夫によるネグレクト・虐待」は「関係性の貧困」と捉えることができますし、「性教育の遅れ」は「知識・教育の貧困」と捉えることが可能です。

https://imidas.jp/mikata/2/?article_id=l-60-017-21-04-g600

たしかに、何もない所から「相談してください」と言われるより、目先の「生理用品が入手できない」という課題を解決してくれる先に相談窓口がある方が、信頼して相談する気になりそうだ。



デザインはセルフサービス

さて、ようやく本題だ。月経の個人最適化を進め、開発体験・生産性を上げようではないか!


積極性が必要

ここで、ここまでの「月経のチュートリアル」と「月経の原体験」が効いてくる。「月経のチュートリアル」で扱ったように、普通に生きていたら月経に対する知識はほとんど深まらない。また、「月経の原体験」で扱ったように、まだまだ月経に対する理解や支援に賛同できない人も多い。すると、周囲に相談できなかったり、問題として扱われないので「我慢するのが当然」と改善を諦めてしまう。

月経に対する対応は、当然だが個人に一任されている。周りの人にどう対応しているか聞いたり、ネットで能動的に情報を収集しないと、選択肢の存在にも気付かない。

現状、月経を改善するには、能動的に情報を収集し、医療機関を受診する積極性が求められる。


誤解

月経の改善に使われる「ピル」

しかし、「ピル」と聞いて「避妊の話だな」と思う人も、まだまだ多いように思う。保健体育の教科書で、ピルは「経口避妊薬」として紹介されているので無理もない。

月経で悩んでいる人が、「ピル」と聞いても「性交に関しては、コンドームを使うので自分には関係ないな」とか「相手がいないし、遊んだりしので、自分には関係ない」思って、それ以上の情報にアクセスしない。

また、周囲の理解もないと、「ピルを飲んでいる」ということが周囲にばれた場合、「ヤリマン」というイメージを持たれてしまうかもしれないリスクを感じ、ピルを飲んでいることを隠すケースもあるだろう。すると、良い治療法を見つけた人が、噂が広まることを恐れ、他の人に勧めるという行動を取らなくなる。


個人最適化に着手するまで

ここまで見て来たように、月経がデザインされるまでの道のりは長い。次回の記事では、今回の記事と対応させて、月経を改善する技術とその歴史的背景、効果、リスク、アクセス方法などを書いていきたいと思う。




参考記事


いいなと思ったら応援しよう!