私と花のはなし
CHEERZさんの投稿用に撮影した写真だったのだけれども、ロックしているのでこちらでも使ってみる。
サマソニ、楽しい!
◇ ◇ ◇
考えてみると昔から花のある生活だった、と思う。
大きなテーブルの真ん中に一輪の花を飾る。
そういうものではなくて、玄関に花束を飾っているような。
特段、母は花を買うような人ではなく、母方の祖母が色々な方から色んなものをいただく、それだけいい意味で人脈があるような「サマーウォーズ」の栄おばあちゃんのような人だとは思っていて。
そのおばあちゃんからいただいたり、父が飲み会のものでいただいたり、お正月は新年ということで毎年ここは花を買っているけれども、ずっと思い返しても玄関には花があった思いでしかない。
私も花が好き?
年齢を重ねるにつれて、
「野花があるのに、沢山あるのにな!」
から
「花をいただく、花のある生活って良い」
と感じるようになっています。
勿論、野花というか四季折々に咲く花たちも普通に、家から多分四季で有名な花とかは見られるような田舎だし、野花は沢山庭に生えてきます。
当たり前のように見れるもの
勿論花束にするような花、というのは式典であったり花屋さんにしかないけれども、身近にあるのにな。
と小さな頃は思っていました。学生の時もか。
でも、なんかそういう習慣がなくなってしまうと違和感を感じるようになって。それこそ30歳になってから、か。
小さな野花に目を配るようになっては写真を撮るし、花畑に行った時に物凄く感動するようになったり。昔も行っていたけれども見ているとなんだか気持ちとして違った感覚、この感覚をどう例えたら良いのかは分からないけれども子供の頃に見た花の感覚と変わってきてはいます。
そして自分でも花束を小さいながらも買ったり、今年だとコロナの最初の頃は式典などが無くなって花を買ってください、というようなものもあり自分でも買ったりしてみて。
玄関ではないけれど、自室に飾る。
そして、母が飾っていたような大きな花束ではなくて小ぶりの花束。
それでも花のある生活というものは凄く気持ちが切り替わるし、ドライフラワーなんか作らなかったのに作ってみたり。
ドライフラワー昔より買って飾っておこうとかも自分の生活の中の選択肢として生まれているし。
年齢を重ねるってこういうことなのかな?
私は一つ年齢というものを噛み締めて、ただ、それは良い方向に捉えられるものになったと感じています。
【本日の読書】
「僕の人生には事件が起きない」 岩井勇気(新潮社) 読み終わり
以下ツイートにて省略。
個人的にタレントさん本というのは一番本を読む上でとっつきやすいと思っています。
全員が書いている訳ではないけれども、それでも本を手にとる過程で手に取りやすい、そして、好きだからこそワクワクして読めるものだと感じています。
岩井さんのも好きから始まったし。うん、やっぱり文章がツイートでも記載しましたがタレント本、連載も含めて色々と拝見していますが作り方としてはお手本のような昨品だと思っています。きちんとまとまっているし終着点も気持ちが良いものであるし。「タクシー」の話はオチが落語みたいでガッツポーズをしてしまいました。(多分連載時読んだ時もこの高揚感を味わっていた気がする)
だから気になったタレントさんのエッセイ的なもの、本の入口としてはオススメしております!
本日はこの辺で。