日本は新大政翼賛状況

<プーチンを懲らしめるために停戦反対と言う人に、ウクライナ市民の命をどう考えているのですか、と何度も聞いてもそれについては答えてくれない。命が最優先は当然のことと思っているが、そうでない人もいるようだ。でも、そういう人もプーチンを懲らしめに戦場に行くとは決して言わない。そう、それでいいのです。本音は命大切、と言うことだと思ってます。>
という投稿が、ウクライナ戦争とその後の諸戦争というグループで出た。「その後の諸戦争」まで言うとは、なんと好戦的なグループだろうか・・

 私はコメントした。
<自称親ウクライナ派には、この観点が欠けています。危険きわまる新大政翼賛会です。去年の暮れにタモリが徹子の部屋で言った「来年は新しい戦前」という言葉は、こういうときのためにある。
 国の独立より国民の命が大事。命がけで闘いたい者ばかりではないのに、闘うことを強いる体制を日本人が支持する理由もない。同じことが、これから、中国の危険をでっち上げて行われようとしているのに。そのために沖縄がまたしても犠牲になろうとしているのに・・・>

 すると、この好戦的、新大政翼賛グループの常連のひとり、Kなる人物が、こんなことを言う。
<「命がけで祖国の領土を守る」のは、あくまでも「他国から理不尽な侵略を受けた場合」のみ。たとえば、あくまでも仮の話ではあるが、ロシアがウクライナにしたと同様に北海道にロシア軍を進軍させた場合、君は、逃げるだろうが、私は逃げないね。君は、もっともらしい、偽の平和論をふりまく、卑怯者であり、偽善者だ。私は、違う。そもそも「国の独立」というものは、歴史的に見ても、そうやって、自国民が守り抜いた結果として、はじめて得られるものだ。それこそが、我が国と我が国民にとっての「真の独立」だ。君は、今すぐ、さっさと、ロシアにでも逃げなさい。さようなら。 >

 当然予想された反応だから、お答えしておく。
<やれやれ、なんたる愛国主義者。私は国を裏切って逃げたっていい場合があると思いますよ。とくにいまのウクライナ戦争なんか、命を捨てる事柄でしょうか?プーチンはヒットラーだ、ウクライナ人はユダヤ人だ、というような、強度に歪んだ幻想をもっていればそうなるのでしょうか。
 興味深いことに、ロシアで市民に、アメリカをどう思うかアンケートを取ると、好感をもっている人が大半なのです。
 その彼らがプーチンに従っているのは、たんに強権によって言いたいことも言えないように抑えつけられているからでしょうか? 我々は、アンナ・ポリトコフスカヤやナヴァリヌイやマリナ・オフシェンニコワを想い浮かべるから、そうなるのも当然かもしれないけれども、それほど単純なものではないだろうと思うのです。
 そんなプーチンのロシアより、右も左もウクライナ支持を悲壮に語る今のニッポンのほうが、よほど私には恐ろしいものに思えます。ロシアはウクライナ、またその背後にいる米国NATOと交戦中であっても、米国に対する好感を市民が口にできるが、ニッポンのようにただでさえ同調強制圧力のつよい国で、悲壮がったレトリックが支配的なのは、まさに新大政翼賛状況ではないでしょうか。
 以前から感じてきた、上記のKなる人物の、私に対する、いわれなき横柄な物の言い方に、戦前の日本帝国軍の問答無用を想い浮かべるのはおかしいでしょうか。
 Kさんのようなひとは、今進められている南西諸島の基地建設強化に双手を挙げて賛成し、沖縄を真っ先に犠牲にする結果、せっかくの犠牲を無にできないから、さらにひどい戦争に突き進むことを支持するでしょう。中国は最悪の場合でも、核兵器を使う必要はありません。兵糧攻めにすれば日本は半年ももたないし、加えて57基もの原発に、レーダーで捕捉できないドローンを飛ばせば、ケリがつきます。簡単に言うと、悲壮がったロマンティックな主戦論と愛国心はなんの役にも立たない時代錯誤なのです。

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