自民党のLGBT敵視の根源にあるもの
自民党政治家たちが、ニッポンの伝統的家族観なるものを振りかざしてLGBTを目の敵にするのは、当然の批判の的となっている。私は、彼らの心の中が透けて見える気がするので、それにひとこと触れておきたい。
彼らは、LGBTは種の保存に反すると言うが、種の保存は、個体数を増やすことだけで、なされるものではない。増えた個体数を減らすことも必要である。LGBTは自然の摂理だ。
それを考えもしないのは、彼らが、自国のみが尊く、栄えるに値すると考える視野の狭い国家ナルシズムにひたりきっているからだ。しかも、彼らの考える、国の繁栄というのは、支配層、上層階級が儲かることだけである。五輪、原発、リニアなどで、国費を無駄使いして大企業を儲けさせながら、福祉を顧みず、削りさえして、シングルマザー家庭を飢餓にまで追い込む連中である。そこには当然、自民党に金と口を出す旦那衆、財界がいる。
こんな不合理な自惚れに閉じこもって、自分たちの栄華のために国民を平気で犠牲にする連中の信奉する道徳とは何か。
LGTB差別は、女は産児装置という観念と切り離せない。LGBT差別は女性差別である。だが、そればかりではない。
LGBTを敵視する者は、生殖のためでなく快楽のためにのみ性行為を行うことは許せないという観念を、心の底に根強く持っている。なにか「社会的に有用」ならば(妊娠出産がそれだ。ここで、特に女の負担が重いことは視野の外)、快楽も許されるが、快楽を認めると、民は放縦になるからいけないという観念である。彼らは、日本国憲法が制定されたとき、憲法のせいで青少年が非行化したという事実無根のキャンペーンを張った。民衆蔑視、不信の根は深い。
→ 「日本の戦後とは何だったのだ 公務員法改悪がもたらした75年の呪縛」 https://note.com/qiuguliang/n/nf5b461310d9c
ところが、そういう彼ら自身は妾を囲い、婚外関係を結び、金でカタがつけば婦女暴行も平気である。これは、矛盾しているが、それを疑わないのは、快楽を得るには資格が必要だという観念が彼らにあるからだ。
自分たちは努力して立身出世した報酬として快楽を許される、一般人はそうではないと、彼らは考える。一般の国民が出世もカネ儲けもできないのは、努力が足りないからだと思い込むのが、永田町、霞ヶ関、丸の内のつねなのだ。だから快楽を無制限には認められないというのが、彼らの心の底にある感情だろう。根強い階級差別である。ひとが誰しも求めるような、いいものは、金と力によって得られるべきだと考えれば、いいものと引き換えに、ひとを不当に苛酷に働かせることは正当化できる。
彼らにとって、性とはワルいことであり、ワルいことは、身分の高い者、金持の特権であるべきで、一般人に認めたら世の中は混乱崩壊してしまうと、考えているのだ。このようにして、人間が人間自身を卑しめることがモラルだと信じこまれる。いい加減にこんなことはやめたらどうか。
女性は金や身分と引き換えに得る対象という観念が、そこにある。LGBTが性差別だというのは、そういう多重的な意味においてであり、そこには階級差別があるのだ。
GDP成長率マイナス4.6%、コロナワクチン接種率世界100位のニッポンは、今後ますます凋落する。人口を増やしても、未来の世代の雇用を創出できないくせに、労働人口が増えれば労働者を安くこき使えるということばかり考えて、国の進路を誤らせ、国民を塗炭の苦しみに追い込む財界は犯罪的である。
そんなときに、歴史に後ろ向きに国家ナルシズムに閉じこもる「伝統的家族の尊重」とかいうものを恥ずかしげもなく掲げる愚者のために、私たちはいつまで犠牲になってやるのだろうか。