(長編) 大難波船 5/6
俺たちの二度目の単独公演は梅雨の時期にて、キャパが二百席の小さなホールにて開催となった。年始に大阪にて初めての単独公演を開催していたので単独は今年二回目だった。前回と違うことは開催地が大阪ではなく東京の新宿だということぐらいか。
こんなに早いスパンでライブを催せるコンビは多くはない。会社もそれだけ期待してくれているのだろう。
なんせ、今回の公演は会社からの催促によって実現したのだから。
昨年末の全国区の漫才賞レースにて、泰然たる覚悟の甲斐あり俺たちは準決勝まで進出することができた。そこまでいけると今度は『敗者復活戦』にチャレンジできてそれが決勝戦の前に全国で生中継される。視聴者やマスに認知してもらうチャンスだ。
一位だけが本戦への切符を手にできる敗者復活戦では俺たちは惜しくも四位に終わったのだが、しかしそこでは確固たる爪痕を残せたのだった。
その日からは劇場出番でも出はけの拍手の音圧が明らかに強くなったのは肌感覚からわかった。会社だけでなくお客からも期待されていると感じる。そのため社員さんは俺たちに単独公演をやれと強いるのだった。
それらに応えるべくこの日のために作家の高田アツシと俺を中心に、連日夜なべをして新ネタを七本おろした。
自分たちの中にあるネタの泉はとっくに枯渇していた。俺らの笑いは賞レースでの数本と、年始の単独において全てを出し尽くしてしまった感があった。燃え尽き症候群だった。そこからもう一度源泉を掘り起こすのはとても骨が折れた。
これまでの習慣からネタの着想の掴み方を熟知し出していた頃だったためにどうにかこの日を乗り越えられた気がする。
とにかく、やれて良かったと素直に感じている。家族に息子が漫才を汗を流して本気でやっている姿を見せられたのが一番良かったし、俺の才能はこんなもんではないということも実感できて無邪気な勘違いを果たせたようにも思う。
「皆様、大変お疲れ様でした!それでは、乾杯!」
タケルが乾杯の音頭を取って俺たちは各々のグラスを空中でぶつけ合う。演者、スタッフ、関係者全員での打ち上げの席は港区のカラオケ店にて執り行われた。広々とした宴会用の部屋でいい歳こいた大人たちは各々の赤ら顔を披露しあっていた。
「チェンプスは面白いよね!」
俺たちのコンビ名『ザ・チェンジアップス』を俗称で呼ぶこのおじさんは、今度の十月からお世話になるスポンサーの方。
「小気味いいテンポ感がクセになるよね。ネタは君が書いているのかい」
メンソールタバコの吸い差しを俺に向けて語る東京弁はどこか芝居がかって聞こえてしまう。
「そうですね、俺だけやないんですけど。まぁ、俺作ということでも」
こういった社交の場が細胞レベルで不得意なアツシは公演終了直後に俺たちの楽屋に顔を出して、
「じゃあ、帰るわ。おやすみ」
といって本当に帰ってしまっていたために俺はネタ作りの種明かしをスポンサーのオヤジさんにできず終いになってしまった。酔っていた為に面倒臭くなっていたこともある。
「いやぁ。僕はね、チェンプスにCMを依頼して正解だったなとライブを見て感じたんだよ」
「それはありがたいですね」
酔いによって呂律と表情がふわついているオヤジさんは俺たちをくどくどと讃え続ける。
「これ本当なんだよ」
「はい、承知しているつもりですよ」
俺はなんと発言するのが正解なのか判断しかねたために、繰り返される褒め言葉のマシンガンをいなし続けることしかできずにいた。
そんな折、俺はふと居心地の悪さ、きまりの悪さを自認してしまう。どうにかしてここを抜け出したいと感じてしまう。
俺はこの場でのさばるような人間じゃない。
「やっぱり、あの大会から仕事量は増えたでしょ」
咋年末のことだろう。
「まぁそうですね。見つけてもらった感じですよね」
「僕みたいなやつに」
おじさんの含んだ微笑みが俺に向けられる。
「その通りでございます」
俺がクサし半分で返した言葉はスポンサーオヤジに痛く気に入ってもらったようで、彼は上体をのけぞらせて笑った。
「やっぱりそうか」
一通り笑い切ったオヤジさんは俺に向き直ってからまた話し出す。
「でも、あぐらかいちゃいけないよ。君たちはここから羽ばたいていくんだ」
「はい」
「きっと広い空が君たちを待っている。それに向かって努力を怠らないことだ」
「はい」
「僕はね、君たちが果敢に大空を飛び回るところを見たいんだよ」
うるせぇな。
「ありがとうございます」
俺は笑顔を返した。
「本当に楽しみだ」
オヤジさんは一人でしみじみそういって、演説を締めていた。そこからは特に話すこともせずひとりきりでちびちびと、ウイスキーを嗜んでいらっしゃった。
腹が出てしまったり髪が薄くなってまったら、いくら仕立てのいいスーツでもダサくて病的な肌のようにしか映らないということをこの人から学んだ。
俺はオヤジさんの肥満体から部屋全体へと視線を移す。
広々とした大部屋の対岸にて、相方の堀越タケルはどこからか来た美女たちに囲まれてニマニマしていた。
頼むから問題だけは起こさないでくれよと強く念じてから、俺はその部屋を隠密に辞したのだった。
「これ、めっちゃかっこいい」
甥っ子の祐希くんはモーニングコーヒーを啜る俺に今回のライブ告知用のフライヤーを高々と掲げて、発言の意図を示してきた。
「せやろ、これ俺が描いてんで」
そのフライヤーの一面には牧歌的な赤いアジサイと傍に紫のカエルが描かれていた。これの絵を作成した張本人は俺なのだが、実際に刷られたフライヤーを目にしたことがなかったために俺自身にとっても新鮮に映った。
綺麗に色が出ていて上等な仕上がりに見える。
「マジで!リュウセイくん絵も描けんの!」
相変わらずの旺盛な好奇心を胸に俺へ体を近づけてくる祐希くん。
「そういうのがたまたま好きやっただけやで」
俺がまだ素人だった大阪時代、ネタ作りに煮詰まるとよくメモ帳の裏にとりとめもなく絵を描いていた。その道でも素人だったためにとても自由な画風でメモの裏を汚したものだ。
「すっげー」
祐希くんは質の高いホテルの朝食会場の椅子にようやく全身を預ける。しかし、視線の先には俺の描いたライブフライヤーが鎮座している。
「毎回リュウセイくんが描いてんの」
止まらぬ疑問にて頭に洪水を起こす祐希くん。
「まだ二回目やけどな」
キラキラと輝く両目はこの世がいかに広いのかということを体現しているように俺には見えた。
「昨日はようできてたと思うで」
ホテルのカタカナが多めだった朝食ビュッフェを終え実親と共同の部屋に戻った俺を起き抜けの母は驚きの言葉で出迎えた。父はまだ夢の中らしく、大きなイビキがベッドルームから漏れ聞こえている。
「なんや急に」
「親族からのありがたき感想や」
俺は照れてしまって物言えぬ心境だったがどうにか言葉を返す。
「どうも」
たった一言で終わってしまった。
言葉が圧倒的に不足しているこの感じ、昨晩の何かと似ている気がする。
「また呼んでよ。楽しかったから」
顔色ひとつ変えぬまま、また母の発言。
「おん、努力するわ」
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