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(超短編) とどまってくれ!

セミの鳴き声も随分と落ち着いてきたように感じる。あの騒音レベルとは程遠い不思議な心地よさがある、九月初旬の音。俺は窓の外をふわふわと漂う入道雲とその手前で揺れるレースのカーテンの影を網膜にうつしていた。

今日は2学期の始業日、クラスメイトたちは再会に胸躍るといった様子だ。方々から大きな声を出し合い各々の喜びの丈と夏休みの土産話を披露していた。教室窓側の二列目後方に陣取った俺の新たな席は誰からも見向きされずぽつんとあるだけ。願ってもない優れた配置だった。

席替えの神は人知れず俺に微笑んだのかもしれないと思った。

それなのに、カヨちゃんがいまだ学校に来ていない。それだけが悔やまれている。

黒髪をポニーテールに結いそれをたなびかせる、スラっと高身長で細長い手足を持った陸上部キャプテンの女子高生。

俺は彼女に会うためだけにこの忌々しい場所に通っているというのに。

ひと夏を経て彼女は変わりあるだろうか。見慣れぬ髪色に変わっていたりするのだろうか。もう高校生も折り返しだし全然あり得る話だとも思える。実際に俺の数少ない友人のタカヒロでさえ、金髪に染め上げた頭をさっそく教師にとがめられていたことだ。

「いいじゃん、子供じゃあるまいし」

いつまでも無邪気な彼はそう言った。俺も全くの同意だった。好きにすればいい。

しかし、彼女にはそうなってほしくはないと思ってしまう。いつまでも純潔な姿でいてほしいと願ってしまう。誰のものでもないのに俺の傲慢な考えが胸の中でもたげる。

そんな自分の存在がこの閉鎖された学校よりも嫌で嫌で仕方ない。

その時教室のドアが開いた。名簿を思った担任が入ってくる。七月末からくらべると少し焼けた両腕と太い首をポロシャツからのぞかせている。

カヨちゃんではなかったことに落胆する。まだ来ないのか。そう思った矢先廊下をこだまする女生徒の声がした。

「ちょっとまって~」

上履きが廊下をパタパタと叩き近づいている。張りがあってよく澄んでいるこの声の主は。

「佐々木、二学期の初日からかますなよ」

「そんなこと言わないでもいいじゃん」

教室の入り口で息を切らし担任とひと悶着起こしたカヨちゃんは俺らと同じ部屋に滑り込んでくる。

カヨちゃんの頭は俺が何年もみてきたきれいな黒髪だったがとても新鮮に見えた。肩の高さで切りそろえられていたのだ。

驚いた。俺はかけている黒縁眼鏡を鼻の上に押し戻す。

「えっ、カヨ、その髪どうしたの?」

日ごろからカヨちゃんと仲の良かった女生徒が俺の疑問を代弁してくれた。夏の終わりのぬるい風にカヨちゃんのボブヘアが右に左に揺れる。

「いや、なんとなく切ってみた。どう?変じゃないかな?」

カヨちゃんは友人の席の近くに向かいながら問う。

「別に変じゃないよ。カヨは顔もスタイルもいいから何でも似合うよ。ただ見慣れなかっただけ」

「なら良かった」

カヨちゃんは安心したような緩んだ顔で応える。今日もしっかりかわいい。

「佐々木、席につけ」

教団の前に立つ担任に着席を促されるカヨちゃん。ふてくされた返事を送って俺の目の前の席にくる。

「みっくん、おはよう」

「おう」

急なあいさつに俺はそっけなく言葉を返してしまった。これは失策。

久しぶりにあったカヨちゃんの大胆なヘアチャンジばかりに気を取られてしまっていたがよく焼けたうなじを見て夏を越したんだと実感する。当の俺はというとほとんど外出もせず帰省もしていないために一学期からの白い軟弱そうな肌を繰り越していた。

「全員揃ってるかな」

担任が教室全体を見渡して声を発した。目線を落として名簿を確認して言葉を続けていたが、俺は真新しい光景に意識が持っていかれたままでなにも耳に届いていない。

「二学期もしっかり勉学に励むように」

担任の古臭い言い回しを久しぶりに聞いて俺の体にどっと倦怠感が押し寄せてきた。

学校いやだな。そう思ってしまった俺は、

「いやいや、変わったが本質は変わらぬカヨちゃんと同じ空気を吸えるだけで通う価値があるはずだ!」

と、自らを奮い立たせて、ひとり机に突っ伏す。

今学期こそカヨちゃんと心的距離を詰めるように励むぞ。

目を閉じてこれは己の心に誓った。

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