映画『アースクエイクバード』レビュー
こんにちは、スーパーのレジバイトやめたいです。客が店員に威張り散らす時代は終わったんだぞ。
9本目の映画はNetflixオリジナルの『アースクエイクバード』です。
あらすじとネタバレ
スウェーデンで生まれたルーシーは訳あって単身で東京で翻訳家の仕事をしながら1人で暮らしています。口数が少なくあまり活発な性格ではありませんが、仕事や趣味を通じて知り合った友達がいます。
ある日ルーシーは道端で写真を撮っていた禎司という男性にいきなり自分の写真を撮られます。許可をとるべきだとルーシーが話しかけたことがきっかけで2人は定期的に会って写真を撮る関係になり、その後交際を始めます。
その頃ルーシーは友人の紹介でリリーという女性と出会います。歳が少し離れているだけではなく、おとなしいルーシーとは対称的な天真爛漫な性格のリリーに対して、ルーシーは最初あまり良い印象を受けません。しかしリリーの部屋探しを手伝ったり、家で一緒にお酒を呑んだりしているうちに親しくなっていきます。その流れでルーシーはリリーを禎司に会わせるのですが、その後リリーが禎司に興味を持ってしまい、リリーと禎司の一挙一動にルーシーは不安になります。
しばらくして3人は佐渡島旅行に行きます。観光中に気分が悪くなってしまったルーシーを看護師のリリーがその場で寝かせ、メモを残して禎司と2人で移動してしまいます。ルーシーは激怒しますが、最後には和解します。
その後もリリーが禎司の働く店にいるところを目撃するなどのショッキングな出来事が続き、ルーシーは引きこもってしまいます。友人が花を持って訪ねて来たと思ったら自分の妄想だった、などの現実と妄想の区別がつかなくなることが増えて来ます。一度リリーが本当に訪ねてくるのですが、本人の口から禎司のことが好きだと聞いてしまいルーシーはリリーを家にあげることなく返します。
その後リリーが行方不明になり、しばらくして東京湾でリリーのものと考えられる遺体が発見されます。ルーシーはリリーの失踪直前にあった人物として警察署で事情徴集を受けます。その中でルーシーは自分がリリーを殺したと証言しますが、のちに遺体がリリーのものではないことが分かり釈放されます。禎司の居場所もわからなくなっていると知ったルーシーは禎司の家に向かい、以前から禎司が見せるのを嫌がっていた鍵のかかった引き出しから彼の撮った写真を出します。中には『ルーシー選別』という名前のファイルがあり、その中には禎司がそれまで撮ってきたルーシーの写真が入っていました。しかし徐々にリリーの写真が増えていき、最後には死んだリリーの写真が入っていました。
死んだリリーの写真を持ったまま帰宅したルーシーは、家の中に禎司がいることに気づきます。『一緒に遠くへ逃げよう』とせまる禎司にルーシーは『もう終わり』とキッパリ断りますが、逆上した禎司に首を絞められます。ルーシーは近くに置いてあった金魚鉢で禎司を殴りつけ、ガラスの破片が頭に刺さった禎司は死んでしまいます。
ルーシーはそれ以前に何人もの人が自分の目の前で死んでしまうのを見ており、それを自分のせいだと考えています。今回のリリーの死も、リリーが自分を訪ねて来た日に家に入れなかったせいだと考えてしまいます。しかしその話を共通の趣味を持つ友達に話すと、友達も親しい人の死を自分のせいなのではないかと感じていることが分かりました。2人が強く手を握ったところで映画は終わります。
なぜ鳥は地震の後にしか鳴かないのか
タイトルの『アースクエイクバード』は、映画の中で何度か起こる地震の直後に必ず鳥の鳴き声が聞こえることから来ているのですが、調べて見たところ普通は地震の直前に鳥(主にキジ)の鳴き声がするということでした。
『キジが鳴くと地震がある』という諺があるように、日本人は以前からキジの鳴き声で地震を予知していました。しかしこの映画の中では、鳥の鳴き声は地震の直後に聞こえるだけであり、地震の前には聞こえません。なぜ順序が逆なのでしょうか。
まず、地震の直後に鳥が鳴くとしたら目的は何でしょうか。
私は『生き残った仲間を確認するため』だと思うのです。生存確認兼情報交換のような。
そして作中でのルーシーがまさに『地震の後に鳴く鳥』ではないですか?
大切に思っていた彼氏と友達との三角関係、友達の死、そしてその犯人は彼氏でした。短期間でまさに災害的に大きな変化がルーシーに起こります。そして一連のことが終わり、1人残ってしまったルーシーが、同じ経験を持つ友人と過去を共有し手を握ります。
このルーシーの作中での一連の行動が、地震の後に鳴く鳥と一致しているように感じます。
ではなぜこの映画の中では地震の前ではなく後に鳥が鳴くのでしょうか。
個人的には人生において起こる事件には、鳥の鳴き声のような分かりやすい前兆はなく、もし巻き込まれてしまったら周りの人と支え合って乗り越えていくしかないという意味が込められているのではないかと思いました。
感想
私自身はルーシーほどではありませんがあまり愛嬌がない人間なので、リリーのようなザ・明るい女の子に対して憧れや嫉妬などの複雑な感情を抱くルーシーに共感の嵐でした。そして具合が悪くなってもまわりに話さないなどの、自分で抱え込みすぎてしまうところがルーシーの欠点だと感じました。明らかに自分が悪くないことに対しても責任感を感じてしまったことでさらに周りに対して心を閉ざしてしまい、一生悪循環し続けるんだろうなと思います。やはり自分に対して日がない場合は『しーらね』って投げ出しちゃうくらいでいいと思うんです。投げ出すの超楽しい、これからもどんどん投げ出していこうと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?