言葉の移ろい

人生も還暦ともなると、言葉の移ろいが気になってならない。
テレビで芸能人や文化人タレントが発する言葉の影響だろう。

最も違和感を覚えるのは、「嫁」「奥さん」である。

前者は親が息子の女性配偶者を言うものであり、後者は他人の女性配偶者を言うものであるはずなのに、男が自分の女性配偶者を言う呼称に使われている。本来なら「妻」というべきである。

いや、もはや“べき”とは断言できないのか?
最近では、バライエティーでもワイドショーでもない純粋な教養番組ですら、人品卑しからざる方々が、当然のように迷いなく「嫁」「奥さん」を使用している。

「めちゃめちゃ」が関西弁以外で使用されているのを聞くのは未だに落ち着かない。胃袋がムカムカする。これは明らかに、吉本興業の関東進出と共に拡散した。主犯は間違いなく島田紳助だ。

スポーツ中継の優勝者インタビューで、「お母様の物心両面の支えが原動力ですね?」と言うべきだと考えるところを「母の・・・・・・」と話すアナウンサーがいた。

これは言い間違いなのか?局として容認する範囲内なのか?教えてほしいものである。と言って、投書するほど物好きではない。

こんなものは序の口で、以下などは強烈な不快感をもよおす。
ナレーションの場合は台本があるはずで、台本を書く人間も、台本を点検する局スタッフも放置しているのか、と思うと世も末だ。新聞ですら使用されている。

「そうぉーー」:伝聞で使う「そう」を「そうです」とか「そうだ」とせず、「そうぉーー」と伸ばして終わる。伸ばすのは「おいしそう」や「楽しそう」のような場合だ。最近ではNHKすら伝聞の「そうぉーー」を使っている。

「普通に」:「当然のように」「不信感なく」「従来通り」「迷うことなく」などと表現するべき場面で使われている。““普通に”「嫁」「奥さん」を使用している。”

「真逆」:これはもう完全に定着した感がある。やはり本来「正反対」だろう。

言葉の移ろいのことを考えていると、海外駐在時代に見た現地日本語情報誌の乱れた日本語を思い出した。

おそらくは、必ずしも文章の訓練を受けていないような人間が作業しているのだから、しょうがないのであろう。

現地大学の日本語学科が教材で使用しているという話を聞いた時には、お願いだから早くやめてくれ、と願ったものだ。
そう言えば、「地球の歩き方」も酷かった。最近は多少は改善されているのだろうか?

タウン誌レベルで少々言葉が乱れていても、お笑いの世界で済ませられるが、報道記事の歪みとなると、少々看過しかねる。

90年代の香港で発刊されていたある日本語新聞では、現地新聞「明報」を引用する際に、“香港の朝日新聞と呼ばれるQuality Paper”という枕詞を必ず置いていた。

「明報」は、日本では武侠小説作家として有名な金庸が創刊し主筆を務めた日刊紙である。

金庸は文化大革命の時期、香港で中国共産党が指導する左翼テロが頻発し、自身にも身の危険が迫る状況でも、厳然として文化大革命に徹底的に反対する論陣を張り続けた人物である。

方や朝日新聞は文化大革命の提灯記事を書き続けた。

さらには、日本経済新聞の鮫島敬治記者が「文化大革命は毛沢東による政治権力闘争」との記事を書いたことにより中国当局にスパイ容疑で長期間拘留された際にも、日本の新聞社が連名で発した抗議声明に唯一加わらなかった新聞社である。

こんな枕詞を付けられたら金庸が泣く。
そもそも、一体だれが“香港の朝日新聞”などと呼んでいたのか。記事を書いた記者だけだろう。


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