《萬柳堂即席》-趙孟頫- (1)
畏敬する友人から漢文の解読を依頼された。
約10年前に、欧州を基盤とする国際的な企業協力組織の役員として、北京での会合に出席した際に、会場であった釣魚台賓館の宴会場に掲げられていた額だという。
当時は中欧蜜月時代。外国人・・・とくに欧米系の“無知な”外国人をたらしこむために人民大会堂や釣魚台賓館を使って「国賓級の待遇」だと持ち上げるのは、中方の常套手段だ。
さて、額は幸いにも楷書で書かれており、文字数は56。七言詩の八句構成だ。
萬柳堂前數畝池
平舗雲錦蓋漣漪
主人自有滄州趣
游女仍歌白雪詞
手把荷華来勧酒
歩隨芳草去尋詩
誰知咫尺京城外
便有無窮萬里思
最後に以下注記があり、作者は元代の趙孟頫だとわかる。
右元趙孟頫萬柳堂席上作
WIKIPEDIAで調べると、出自は宋の宗室、つまり趙匡胤の末裔でありながら、元王朝に出仕。このため強い批判にさらされ、後世も不評の人物である由。
一方、楷書の四大家(欧陽詢・顔真卿・柳公権・趙孟頫)の一人であるとのこと。だから楷書なのか?
実に興味深い人物である。
まずは、自己流で以下の通り書き下して、現代語訳を畏友に伝えた。
萬柳堂前 數畝の池
平舗の雲錦 蓋し漣漪たり
主人 自ら滄州の趣有り
游女 仍(しきり)に白雪の詞を歌ふ
手に荷華を把り来りて酒を勧む
芳草に隨ひて歩み 去きて詩を尋ねん
誰か知らん咫尺(しせき)京城の外
便ち無窮萬里の思有り
萬柳堂の前景には何畝もの広大な池がある
(萬柳堂の)建屋の掛けられた雲のような錦は、まるで(池の)波紋のようにはためく
(萬柳堂の)主人自身には滄州の趣が有って
(集う)游女は繰り返し白雪の詞を歌ふ
蓮の花を手にして酒を勧にやってくる
芳しい草に隨って歩みよって詩を尋ねる
いったい誰が知ろうか城の外すぐ近くでは
まさに無窮萬里の思いが有ることを
元代の漢人知識人の活動など考えたことがない。遥か昔の中学高校生の時期には漢文唐詩宋詞元曲と覚えたものだ。
一方で、現在漢学徒として朱子語類を学ぶに際して使用する工具書のひとつが『宋元学案』である。
なによりも趙孟頫の経歴が興味深い。
漢学徒にとって必須のデータベースを検索すると、萬柳堂に関する様々な引用が見つけられた。
これらの情報をひとつひとつ紐解いていきたい。
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