メンタル終わってる人間がゲームを作り続けて1年が経ち、色々と考え方が変わった話
けめるといいます。
私は色々な事情(病気&怠惰&金欠)があってリアルの生活が散々なことになっていました。精神状態も2~3年くらいは終わっていたため、本当に散々です。
そんなメンタル終わってる人間の私がゲーム制作をはじめてから1年とまあまあが経過したので、その効果・変化みたいなのを書こうかなと思い立ちました。
最近作ったゲーム
効果
完璧主義の軽減
この辺の記事でも書いたのですが、完璧主義的な考え方がかなり軽減されたのを感じます。
完璧主義には良い面も多いですが、精神的な負担や技術向上速度の低下などのデメリットも多く存在すると考えていたので、ここを直せつつあるのは大きいなと。
ただ、凝り固まった思考はそう簡単には はがせないのも事実で、未だにちょっとしたゲーム・曲程度では公開したくないという気持ちはあります。
完璧主義は自己満という考え
とはいえ最近気づいたのは、ここでの「ちょっとした」というのはあくまで主観である以上、結構テキトーなことです。
昔作った作品を今眺めると「おうぅ…」となる経験、誰もが通る道でしょう。でも当時の自分はそれに満足していたはず。なぜか?
それは、満足の材料が、「自分なりにいいものを作れたか」「自分なりに十分な時間を費やしたか」というものに依拠するからです。
当時の自分は自分なりに精いっぱい努力し、その結果に対して満足します。でも、他者から見るとそれは凡百のインターネットゴミにすぎないのです。
昔作った作品も、数カ月、数年と経てば他人が作ったものとほぼ等しくなります。そうなると、他者として、凡百のインターネットゴミを眺めることになるのです。
そう考えると、完璧主義って自己満な要素も多いなと考えました。
最近は、いま自分が作っているものも、数年たてば恥ずかしいものになるんだよなーという認識で比較的ラフにやっています。そのおかげもあって、この1年はかなり色々な技術を学んで吸収できたなという実感があります。
多少動ける人間になった
色々と諦観していたので、「だらだらとフリーターをやらせてもらって、お金が無くなったら人生辞めよっかな」などとぼんやり考えていたのですが、ゲーム開発を半年ほどしていると、徐々にゲームを作る仕事に対する興味が湧きました。
今まで就活とか全然意識したことがなかったのですが、これを機にインターンに参加しようと決意し、その言葉の意味もよく分からないまま実際に参加しました。
現在もゲーム系での就職を視野に入れて日々活動中です。
メンタルが多少安定した
メンタルが非常に弱い人間だったのですが、最近は多少打たれ強い性格になったと思います。
それこそ就活なんてメンタル強くないとできませんから、本当に。
就活とかやってる人はみんな自分を誇りましょう(やってなくても生きている自分を誇りましょう)。
前は自分のことを「何もできない日本一使えない人間」だと思い続け、自己肯定感爆下がり状態だったのですが、最近は上昇気味です。ゲーム開発すごい。
感想
ゲーム開発、なんか続いた
なんか続きました。
今まで人生で続いたことなんてゲームやることくらいしかなかったのに続きました。
ゲーム開発は疲れることも多いし、上手くいかなくて嫌になることも多いです。だけど、先述の完璧主義の軽減が効いたのか、「とりあえず形にしたい」という気持ちがブーストになって、なんとか作り続けられました。
個人開発でクオリティ勝負は修羅
個人開発(や小規模チーム開発)でクオリティ重視のゲームを作るのはそもそも険しい道なのではないかと気づきました。
考えてみれば当たり前なのですが、クオリティの高いゲームを作りたいならマンパワーが圧倒的に大事なので、一人や数人程度ではまずかないません。
クオリティ100点に近づくというスカラーな姿勢じゃなくて、もっと別のベクトルで個性を出す、みたいな姿勢がいいのかなーとはなんとなく考えています。
この辺も完璧主義の緩和につながる考え方です。
結局私は運がいい
これに尽きるのもなーという感じですが、これに尽きます。
運がいいです。
そもそもゲーム制作を1年も続けられる環境・精神力をまだ私がかろうじて持っていたからこういうことになったわけで、このトリガーがないまま生きていたらまだ自分は自己肯定感終わってる状態だったと思います(一応言っておきますが、「自己肯定感高い=えらい」わけではないです)。
ゲームを作り始めようとしたきっかけをそこまで鮮明に覚えてはいないのですが、何か急に焦りを感じてゲーム制作コミュニティのサーバーに飛び込んだのがきっかけだったように思います。
こんなのメンタル終わってる奴にとっては再現性ゼロ(怖すぎるもん!)なので、そのときの私の脳のシナプスがいい乱数を引いていたという他ありません。
また、はじめて作ったゲームで心無いコメントや評価を貰ったりしたら、普通にゲーム開発なんてやめてたと思います(みなさんもそういう減点法でのコメントはできれば控えて!!自分もメンタルやばかったときやりかけたけど…)。
とにかく、運が良かったからゲーム開発を続けられたのであって、これが再現性のある話だと思って書いている気持ちはありません。ただ、こういう話を見てちょっとでもピクッときたら是非はじめてみてほしいなーという願望から書いています。
ゲーム開発のいいところ
ここからは少しゲーム開発のいいところを説明出来たらと思います。
絶対に100点のものは完成しない
ゲームは総合技術なので、個人で開発しようものならまず理想は得られません。
それだけ聞くと嫌に思うかもしれませんが、ここがミソなのです。
私は先述の通り完璧主義に悩まされていたので、この事実が劇薬のように私にのしかかりました。
unity1weekというイベントがあります。Unityで1週間でゲームを作って投稿し、評価し合うみたいな、ゆるいイベントです。
私はそこで人生初のゲームを公開することになるのですが、出来たゲームは妥協に妥協、さらに妥協を重ねたとんでもない妥協ゲームだったのです。
私はそこで一瞬「こんなもの出したくないな…」と絶望しましたが、意を決して投稿することに。そうすると、意外や意外、なんだか「自分がゲームを作った」という事実が嫌さに勝ったのです!
コミュニティの方にも少し褒めて頂き嬉しかったのを覚えています。ですがその反面、ふつふつと悔しさもこみあげてくるのです。
もっといい作品を作れるようになりたいと思い始め、そこから本格的にゲームを作る練習を始めることに。
そんな感じで、多少荒治療ではありますが、100点が出ないという性質を完璧主義の瓦解に使うというのは案外悪くなかったと思います。
色々できる
色々できます。
ゲームは先述の通り総合技術なので、いろんな技術をフルに使うことが出来るのが醍醐味です。
イラスト
プログラミング
シェーダー
UI・UX
作曲・SFX作成
ゲームデザイン
シナリオ作成
etc…
考えてもキリがありませんが、とにかくできることは無限大なので、自分の発想や技術をフルに生かせるのが楽しいです。
普段の生活においても興味の幅を広げないと という意識から、自然にいろいろな情報をキャッチするようにもなりました。
ちなみに飽き性はむしろゲーム作りに向いている気がします。私もわりと飽き性なのです。プログラミングに飽きたらデザインを考え、デザインに飽きたら作曲するみたいなムーブが可能なので、案外悪くないです。
加点法で評価してくれる仲間がいる
減点法って、息苦しいです。完璧主義ならまず減点法的な考え方になると思うのですが、これがまあしんどい。
自分の作品を見ても、他者の作品を見ても、ちょっと悪いところを粗さがしして「クオリティ低いな」と感想づける。こんなことを続けていても、精神終わるのがクオリティ上がるより先になるだけです。
その点ゲーム開発のコミュニティはすごくて、100点なんて作れないという性質を受け入れたうえで作り続けている強者の方々がたくさんいるので、それを飲み込んだうえで加点法でゲームを評価してもらえることが多いです(もちろんコミュニティにもよりますが)。
モチベーションの向上や会話の促進につながり、加点法のありがたさを身にしみて感じています。
おわりに
スクラップのように書きなぐったので、あまり脈絡が無かったかもしれませんが、こんな感じです。
また区切りがいい時にふりかえり記事みたいなのを書きたいです。
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