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『風の時代を行く』もうやめよう!「比べっこ」

~実在とバーチャルリアリティのはざまで~

もうやめよう!「比べっこ」②

 これまで「風の時代」は自分軸で生きる時代と言ってきましたが、それは前回ちょっとお話ししたところの「自立意識」の時代と言ってもいいと思います。優劣、良し悪し、善悪(正義と悪)、正誤などの「比べっこ」をやめて、違いを違いのまま受け入れて生きて行くことです。
 
 前回書いたなんでも「比べっこ」する「優越意識」について、現在人の多くがこの階層にあると言いました。顕著にこの性格が出ているのが、政治家とか、会社など色々な組織の上層部の人達とか、権威をかざす学者さんや評論家とか、コメンテーターとか、ジャーナリストとか、インフルエンサーとかかなと感じます。一般の人達でも上昇志向の強い人は大抵この意識階層にいて、自分が正しいという前提でものを考える特徴があります。それが極端な人達が政治家に多く見られ、私はそういう人たちに自己愛性パーソナリティ障害のレッテル貼ったりしてしまいます。

 以前勝手にその象徴にしていたのが、銃撃され亡くなられた安倍元総理大臣でした。国会で118回虚偽答弁をしても、「嘘をついている私こそ正しい」と言わんばかりの方でした。最近の例では、差し詰め何かと問題を提供してくれている兵庫県知事なんかがどう見ても自己愛性パーソナリティ障害に見えますが、あれだけ叩かれても鬱にならずに平然としていらっしゃるので、演技性パーソナリティ障害もミックスなのかなと思ったりします。
 
 「もっとお金が欲しい」「上手く儲けたい」それが出来れば幸せ! みたいな価値観も、ベースにはこの「優越意識」あると言えます。そうした意識・価値観が、闇バイト、自民党の裏金問題、視聴率を優先するメディア、フォロワーを欲しがるSNS、コロナやSDGsなどの助成金に群がる人達なども生む訳です。一例ですが・・
 
 これからの「風の時代」は「自分軸の時代」になって行きますので、比べっこの意識が残っているとそこにはなかなか行けません。自分の自分軸と他の人の自分軸をそのまま認めて受け入れられないとなりません。
 
 これまでの社会の主流の考え方をテーゼとするなら、それを壊しにかかっているトランプやプーチンのような考え方がアンチテーゼになると以前書きました。トランプにしても、プーチンにしても、イーロン・マスクにしてもどう見ても「我こそが正しい」という視点で「比べっこ」する「優越意識」階層の人です。
 
 「風の時代」のベースになる考え方(パラダイム)は、こうしたぶつかり合いの先にジンテーゼとして現れて来るものと思います。それはオレンジ型社会からティール型社会への移行とも言えます。このティール型社会を構成する人達は優劣を付けるような「比べっこ」をしないで、違いを違いのまま受け入れてこれを楽しむことができる「自立意識」であることが必要条件のように思います。
 
 先に示した図では、これから「風の時代」を生きて行く「自立意識」の象徴としてオードリー・タンさんをピックアップしてみました。35歳で台湾のデジタル担当大臣に抜擢されたタンさん自身がトランスジェンダーですが、著書の「自由への手紙」では、「誰かが決めた『正しさ』には、もう合わせなくていい」と述べ、次のように自由になることを論じています。
 
・不平等から自由になる
・不安から自由になる
・年齢から自由になる
・競争から自由になる
・国家から自由になる
・対立から自由になる
・正しさから自由になる
・男と女から自由になる
・ジェンダー概念から自由になる
・家族から自由になる
・強制から自由になる
・ヒエラルキーから自由になる
・支配から自由になる
・言葉の壁から自由になる
・スキルセットから自由になる
・一枚岩から自由になる
・お金から自由になる
 
 変な基準軸を作って「比べっこ」するのはもう止めようと言う感じですね。私はこの「自由」という概念というか世界がとても重要だと思っていて、私達の究極の目標のように感じます。「風の時代」がどこまで自由な時代になるかはまだ分かりませんが、今よりは大きく自由に羽ばたくことができる時代になって行くと思います。そうしたいですね。
 
 言いたいことは何となく伝わるかと思うのですが、「優越意識」から「自立意識」への変容は、知識を教える教育で身に着けられるものではありません。自ら気づくことが必須と感じますが、この気づきを得るために思い付く方法を上げるとすれば、瞑想とダイアローグになります。
 
 今回はちょっと批判的なネガティブなことも書いてしまいましたが、次回はまた視点を変えて「風の時代」を見て行けたらと思います。

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