山月記おもしろ~
李徴子が虎になったところは覚えてたけど、詩を書いてたのは忘れてた。
俺の中の人間の心は、獣としての習慣の中にすっかり埋もれて消えしま うだろう
心が習慣に埋もれるというのがしっくりきます。物事に飽きてるうちは意外とまだ切り返せるんですよね。だんだん楽になってきた、一周回った時が怖いなと思います。変える意味がなくなってしまうから、耐える方が簡単になってしまう。変えることが一番労力を使うのにその意義を失ってしまうのです。そういう恐ろしい力を習慣ははらんでいますね。
己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢えて刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった。
才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の凡すべてだったのだ。己よりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、堂々たる詩家となった者が幾らでもいるのだ。
李徴は頭良かったからね~。余計に苦しそう。人間の虫の良さを正面から捉えていていいんだけど当の本人がもう人間でないという。虎になったからこそ見えてももう遅いよっという。過去の自分を責めるのが一番楽ですよ。反省してるという体でいくらでも正論言えちゃう。言うは易しです。実行する重荷を背負ってやっと反省は意味を持ちますから。
まあでも人のこと言えたもんじゃないか。こんな上から達観した気になってさ。ただ虎になっても反省しないぞ俺は。