【日記】壁と意図

 壁を見るのが楽しい。
 壁といっても、壁だけではない。
 建築物一般と言い換えてもいいかもしれないが、強く意図を持っているものだと、何かを見たときにその意図を見ることになってしまうので、そういったものを感じさせない方がいい。
 はじめ、こういうものの見方は、トマソンというのだ、シュルレアリスムがずいぶん大衆向けに醇化したあたりで出てきた概念で、本来の意図を失った建築物であるという定義なので、最初は面白く見ていたのだが、最近、そのフォロワーによって集められた収集物を見てみたら、そのほとんどが途中で行き先を失った階段と、埋め立てられた扉ばかりの写真だった。
 確かにトマソンの代表例として、その二つが珍重されたのではあろうが、その二つの条件を以てトマソンとするのではないだろうし、単純に見ていて面白くないだろう。
 おそらく、わけのわからない建築物の収集は、そのセンスが問われるので一般の人は規範から大きく外れることを恐れるあまり、決めてもいない定番の形に収斂してしまうのだろう。
 要は、トマソンを見ると今言ったら、それはさらに強い意図を感じざるを得なくなったというわけだ。
 こういったことを踏まえて、壁を見る、といった時に、その感じが伝わるかどうかわからない。


 その壁の一つに、選挙ポスターの掲示板がある。
 現在、統一地方選挙の期日を控え、各議会議員候補者の宣伝は佳境を迎えている。たくさんの顔が並んでいる。どのような意図において議会に臨むか、文字で書いてあったりもするが、名前と顔より大きいということはない。
 政治的な意見を人と交わすことは、大いに勇気が要る。つい最近、二人の人が強い政治的意図のもとで会話を仕掛けてくる機会があった。むろんこちらから仕掛けたのではなかった。自分はただでさえもう四十に近づくほどの年なのだが、二人とも年上の男性であったのは、あまりそういう臆断はひそめるべきではあるが、やはり典型としての作用がないとは言えないだろう。
 私に仮に政治的な意見があったとしても、それを剥き出しにして何かを語るというのは、意見が相違した時には目も当てられない。当たり障りのないことを言い、内心で冷や汗が止まらなかった。どちらも、今後も顔を合わせるであろうつながりのある人だった。しかし、その二回があって以来、また面白いことにどちらも、そのような熱意で語ってくることはなかった。また、選挙の時期だから所属していたり関係を持っている政党の票を少しでもかき集める為に声を掛けているという風でも、言っていることから判断して、なかった。
 何かのさぐりでも入れる意図があったんだろうか。

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