【読書録】ディドロ他『百科全書』2 哲学の変遷の記述自体に哲学の変遷を見る
引き続き、ディドロとダランベールが編集した、1700年代に盛り上がった、百科全書を読み進みている。
序論を抜け出し、具体的な項目としての「哲学」の項を読んでいる。
昨日の記事では、ここに読むべきものがあるのか否か、疑問に思っていたが、いろいろな背景を思い浮かべながら読んでいると、得るものがない書物というのはないのだなと思った。ここにも、歴として読むべき何かがあった。
序論の中で書かれていたが、この『百科全書』が書かれる直前に、ニュートンが生まれ、物理学を中心として、革命的な発見が多くされた。
そして、そういう印象は今までなかったのだが、その前にデカルトがいて、天体の運動について、天体を浸す流体が存在して、その流れが天体の運動を決定しているという、渦動説というものがあったらしい。
じつは、結論をごく先取りして言えば、このデカルトの方が、先見の明があったことになる。エーテルではないが、宇宙空間にはダークマターとダークエネルギー、要するには古典物理的な物体以外に、不可視の雲のようなものがあり、その引力を合計しなければ、惑星間くらいの運動は説明できても恒星間、とくに銀河全体の運動を計算することができない。まあそんな屁理屈は措くとして、デカルトの説を、ニュートンが反駁し、もう少し単純なものかと思っていたが、解析学なども駆使した物理学体系を構築し、それによって物理万歳、科学万歳という雰囲気が醸成されていたらしい。
そして、その余波が、ディドロ直々に執筆された、『百科全書』の「哲学」の項にも反映されている。ニュートンが、独自の物理学をその世界内で展開させた、というのが今までの印象だったのだが、当時は、それが哲学の派閥扱いされていたらしい。今ではまた分離して考えられているが、もしかしたらそんな学の配置の姿もあったのかもしれない、そう思わされる描写だった。
今でいうと、科学はより事実に近い領域として覇権を握っており、哲学は、生きる術といったような領域に切り詰められている。百科全書によれば、思弁的哲学と区別される、実践的哲学のうち、倫理にかかわる哲学である。
この当時の方が先に行っていたんじゃないか?