【日記】家族で会って話す

 この間、今はバラバラで暮らしている兄弟親子と配偶者、子が一堂に会する会をやった。
 みなそれぞれに意見を持っている人達で、話を聞いているだけで楽しい。母も喋る方だったと思うが、年もあってかそれほど話してはいなかった。
 とにかく、自分を含めた兄弟三人が、我先にと大いに話し込んだ。合計で十時間話して、まだ話し足りないので翌朝LINEでたわいもない話をしたほどだった。

 話題のひとつの軸は、AIの発展についてだった。今、誰が所有しているのか。フェイクニュース的なものは加速するのか。人間の主体を今後どこに置けばいいのか。自分はひたすら哲学を軸に語った。
 AIの進展は、とりあえず無視できない域に達している。知の結節点としての哲学は、今かなり古臭い響きを持ってはいるが、AIという技術爆発を前にして、その価値づけや禁止事項について、言いうることがあるのではないか、といったようなことを主張した気がする。
 まあ、哲学にこだわらなくとも、現在の学というものが、経済学だとか情報科学だとかいったものだけで結論を出さずに、人間が持つべき主体性というものの再定義が出来ればよいのだという気はするが……こう書いていて、やはりそれは哲学としか呼べないのではないかという気もする。

 それから、ビートルズの話も、始終していた。全員ある程度聞き込んでいた。アビーロードのメドレー部分を何度も直前に聞いていた。おぎやはぎのどちらかが、全く無名なポリシーン・パンという曲を、ベスト十に上げていたという話をして、曲も伝わるし、「おぎやはぎはひねくれてるね」と、言いたい意図が即座に伝わる感じが良かった。兄の嫁は特にジョン・レノンが好きだということで、兄が翻訳する英語で何となく話題を聞いて、笑っていた。兄は国際結婚をした。今は海外に永住している。

 一人甥っ子がいて、背景でずっと遊んでいた。ベッドに上がって、床にドスンと降りる、というそれだけの動きを飽かず繰り返していた。本当に、百回は降りたのではないかと思えた。普段アパートに住んでいると下の階に響くので、忍び足で歩いているんだそうだ。人間の抑圧の反動は恐ろしい。子供の動きの中に自然を感じた。一緒に戯れて遊ぶうちに、自分の中にも自然が宿るような心地がした。

 我々も、言葉で戯れて遊んでいたともいえる。別に、焦って話すこともない。何も結論付けないような話をして、気が付いたら夜更けだった。

 僕が「コーヒーバトルだ!」といって、同じくコーヒーを趣味にしている兄が今日の為に持って来たコーヒーと、自分が淹れたコーヒーとどちらが美味いか勝負を仕掛けた。結果はボロ負けだった。別に本気で勝ちに行ったわけでもなく、一つの話題になって面白かった。

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