【日記】ゴールデンカムイ

 昨日気付いたが、今まで、このnoteに「書くことがない……書くことがない……」と思っていたけれども、考え方を改めることにした。「書くべきこと」、とまで言わなくても「書けること」、自分の興味圏に引っかかることだけに限っても、注意深く探せば、見つかるということがわかった。
 それが、安定的な人様が読んで楽しめるコンテンツになるかどうかはわからない。クオリティが、というよりも、自分が「これについて書こう」と思うことについて、今まで、そんなものが「降ってくる」のは、やはり毎日単位では難しいか、どうせ変わらない毎日であるし、その中で話題の単位になることなんて、限られているのだから、などと考えていたのだが、身の回りのこと、あるいは、自分の心に起こったこと、ふと思ったこと、これらを取り逃さずに捉えていれば、立派にいつも書いているくらいのことであれば集まる、そう直感したのである。
 ただ、こう思うのは、その時偶然、いくつか興味深いことに出会ったから、ということもあり得る。一時的なテンションの上りによって、そう思い込んでいると。
 まあ、どちらでも良い。

 妻が、ゴールデンカムイを見ていた。ゴールデンカムイについて、今まで興味を持って見たことがなかった。熱心に見ているので、筋だけは理解しておこうと思って、ひとつの話を流しながら、出てくる物事について、いちいち、小学生が聞くみたいに聞いて行った。この人は誰なのか。どういう役割を持っているのか。今何をしているのか。主人公は今どうしているのか。人皮とは何なのか。集めると言っているが、皮が集まっているのか。写真に撮ったりできないのか。そもそも、ゴールデンカムイとはどういう意味なのか。カムイは神のことで……では、金の神とはどういうことなのか。どんな含意があるのか。
 当地の村人が、ニシン漁をしていた。なんとなく見ているだけなのだが、どうも急に教科書的になることがある。アイヌの民俗誌が急に現れるというような。クジラ漁をする。人々は命がけである。海に落ちると、北海道のことなので、簡単に命を落とす。人が一人落ちたので、すぐに揚げないと死んでしまう。
 男は、助けられてすぐに薪の火があるところに連れて行かれた。その男は、金塊の場所を示す地図の刺青が身体に彫られているという。なので、全身を脱いで火に当たるわけにはいかなかった。その男は、誰かに殺されたいという願望を持っていた。
 個々の画やキャラクターというより、話の仕組みと、民族的な醍醐味を味わうアニメであるようだった。漫画の原作がある。いつ頃連載していて、今アニメがどうなっているとか、全く知らなかった。知らないことを知るのは楽しい。覚えて、あとで思い出すことが出来るからだ。その際、誰かに話すということは、期待されるのだろうか。それがなくてもいい、自分自身の身だけで完結する、と言えれば、それ以上簡潔なこともないのだが、やはり他のどんなことでもそうなのだが、事態はその中間的な所を通る。自分自身の満足の為でもあるし、誰かとのコミュニケーションの為でもある、この場合では。全ての知で、同じことが言えるだろうか。全ての知は、自己の満足の為と、他者とのコミュニケーションのツールであることの両方の性質を持っていると。
 それも断言できないような気がする。

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