【読書録】ベル・フックス『私は女ではないの?』
ベル・フックスの『私は女ではないの?』を、引き続き読んでいる。
図式的な説明が多く、少し辟易するところもなくはないけれども、これが黒人女性が被ってきた現実なのだ、ということは、薄々わかる。
マルコムX。よく、黒人運動の中心人物として、名前を聞いたことがあった。それくらいの認識で、まるで僕は物を知らないのでもあるけれども、彼はかなり強く、「男性の力が黒人の地位向上に必要だ」という主旨の言葉を発していた、というらしい。「女性はそれを支えろ」、と。家父長制に依拠した物言いであるけれども、当時そのことを指摘する人はいなかった、黒人が団結するのに、いわば「水を差す」ことはしなかった、運動は嵐のように広がったので、小さい声はかき消されてしまったのだろう、黒人男性がその意見全体を支持していた。そう、マルコムXという固有名詞を出せば、見通しが良くなるように感じるかもしれないが、問題は全体の動き、それが抑圧する何かである。
渡辺満里奈が、とある区長の映画に感化されて、エックスにポストしたのを、別の、ミソジニストであろう政治家が「頼むから女はネイルをして、お料理を作って、ファッションに凝って、そこから出て来ないでくれ」とリポストしたと、佐々木中の又リポストによって知った。ベル・フックスは、「家母長制」という、ほとんど架空の、家父長制にかわる価値観のことを語っている。奴隷制が廃止されしばらく経った頃、社会学者によって、アマゾネスのように、黒人社会では、家母長という、男性ではなく女性が家長になる社会があった、という説が広まった。それが復権すれば、黒人女性の地位も上がることだろう、と。だが、それは都合よく作られたイメージにすぎなかった。実際には、困難な仕事を押し付ける為の言い訳のようなものだった。問題は、外部から、その外部が都合が良いように設えられた生き方を強要されることだ。
マルコムXは、かつてポン引きであった時のことを自慢げに語ったという。男性は、女性を使う側の人間でなくてはならない。その際、「買われた」女性は、男性に話しかけられるまで自分から話してはいけない、タバコの火は進んでつける、等々、まるで召使のような役回りをしなければいけない。
過去の話を読んでいるはずだが、全くそんな事はないのではないかとしか思えないような現実がある。