【日記】音楽で何かを表現する
一日中どころか向こう何日も雨が続くらしい。仕事が天候に非常に左右されるので、気が気ではない。
音楽で何かを表現する、とよく簡単に言われるけれども、これほど難しい事もないのではないかと思う。今頭に思い浮かべているのは、一から何かの曲を作るということより、ある曲があって、それの演奏をいかにするかという場合のことだ。いや、一から曲を作るという場合においても、事情はほとんど変わらないのではないだろうか。
ある、作曲された曲があるとして、それを自由に演奏していいとする。しかし、そこでいう自由は、思っている何倍も、自由ではない。ギターなどでコードを弾くとき、アルペジオになるか、それとも一度にコード弾きするのか、もうその二つに一つくらいしかない。コードのストローク、リズムといっても代表的なものは限られてくるだろう、細かく言えば、いろんなパターンを作れると言えるかもしれないけれども、聴取者にわかほどの変化を、その細かいパターンが表現できるのかというと、根本的なグルーヴというか、主要なアクセントの付け方は、やはり数種類に限られてくる。
そして、テンポをどのくらいにするか。緩急をつけると、やはり簡単に言われたり、スピード感を出すとか、イメージしたりするけれども、音楽上で有効なテンポというのは、だいたい分速80~140拍と、やはりそのあたりを行ったり来たりするしかない、そして、この中の10くらいの変化は、やはり、聴いている人に分かりやすく伝わるかといえば、聞き取れる人はわずかだろう、ここでもやはり数種類しかない。
以上の要素を掛け合わせて、もうおおよそ20パターンくらいになってしまうのではないか、それに限られてしまう。
だが、プロのミュージシャンは、その、ほんのわずかの変化を、原曲から遊離させることによって、やはり、何かを表現しているとしか指し示しえない行為をしているのである。これはやはり奇跡的なことだと言っていいと思う。
僕は、去年あたりの、KIRINJIとして活動している、堀込高樹の、アコースティックのパフォーマンスを頭においてこれを書いている。