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あるパズルについて考えたこと
夏休み、子どもたちと過ごす時間が長い。
暑い時間帯は、家で過ごしたい。そんな時、パズルや迷路などを楽しむ。
いろいろな無料プリントサイトがあるので、ありがたい。
「右の絵と左の絵で5つ ちがうところがあります。どこでしょう。」というパズル。
名前は、まちがい探し。
こどもの頃、何の疑問も持たずに楽しんでいたけれど、
学生時代、英語版のタイトルを見たときに、はっとした。
”Spot the Difference"
そうだ。difference=ちがい を探すだけだ。
どうして"まちがい"探しなんだろう。
まちがい=事実とちがうことを探す場合もある。信号の赤・黄・青の並びがちがう、太陽の位置と影のできる方向がちがう など。
でも、そうではない場合が多い。
2つの絵で、服の模様がちがう、飛んでいる鳥の数がちがう など、ただ、ちがうだけなのに、まちがい探し。
ちがうことは まちがっていることではない。
日本人は、議論が苦手だという話を耳にする。
たしかにそうだなーと思う場面に出合うことがある。
意見がちがう人を敵とみなし、攻撃する。
ちがう考えを聞くと「それは、まちがっている」と反応する。
「私はちがうと思っていて」と言われると、否定されたようでしょんぼりする。
ただ、ちがうだけなのに。考えがちがうことで、議論が深まるはずなのに。
たかがパズルの名前だけど、何度も目にしていると意識に刷り込まれてしまうのかなーと思う。
ちがい=まちがい だと。
「ちがいさがし」としているものもあるが、目にするもののほとんどは「まちがいさがし」だ。
子どもたちと一緒にするときは、
「まちがいさがしって書いてあるけど、ただちがうだけで、まちがいではないよねー」と言うようにしている。
ちがっていることを まちがっていると思ってほしくない、ちがいを楽しめる人になってほしい という願いを込めて。