消されていた記憶 編み込み

私は、中学校ぐらいまでの記憶がほとんど残ってない。
つい最近まで33歳ぐらいの子供時代の記憶なんてこんなものだろうと思っていたが、友人の話を聞いていると日常の記憶を断片的にでももう少し覚えているものらしい。
わたしの場合、その断片がとても小さい。
小さいだけでなく、奥深くに沈んでいる感じだ。何かの拍子にふと浮かび上がってくると、その断片は音もなくスーッとわたしに傷をつけ、私からはシューッと空気が抜け、水面下に引っ張りこまれるような感覚にさせる。

いま私は、芸能人の方が自殺されたというニュースを目にして、言い表せない不安に襲われている。現在自殺願望があるというわけではなく、愛に飢えた人間の狂気が生み出す、支配的で歪な日常に閉じ込められてしまったような、あの時の感覚が蘇るからだと思う。
そんなときほど、よせばいいのにこんなマンガを読んでしまう。

「子供を殺してください」という親たち

刺激的なタイトルだが、このマンガに出てくる親と子の関係性にわたしは少なからず(いや、ゾッとするほどの)既視感を覚えた。あぁわたしの家族も、なにかのピースがひとつでも違っていたら、この作品にでてくる家庭そのものになるところだった。ところだった?どうだろうか。少なくとも今は、心の中で、未遂型でいいんだよね?と言い聞かせている。
進学、就職、転職と、少しずつ少しずつ実家との距離を離してきた。この距離は私が一個人の人格でいられる距離。乾ききった両親の潤滑油でもなければ、両親と兄のイザコザの橋渡し役でも、消えることのない母の憂いを受け止め続けるサンドバッグでもない。ここは安全なのだ。そう言い聞かせながら、先述のマンガを読みながらポロポロと輪郭を取り戻した、わたしの中で消されていた(消していた)記憶を書き記そうと思った。
正直、家庭内の闇をカジュアルかつコミカルに描くマンガは昨今いやになる程多い。これまでもそういう作品を読むたびに記憶の断片が浮かび上がりかけてはいたのだが、無意識に沈めてきたのだと思う。だが、「子供を殺してください」という親たちを読むと、沈めちゃダメだという感情になった。向き合って、連鎖のようなものがあるならば、断ち切らなくては、と。

断片的なものにはなるが、自分なりに振り返って、向き合って、消化できるといいと思う。
それでは、ひとつ目のカケラを書いてみよう。

〜朝の編み込みの時間の記憶〜
小学校の頃、わたしの髪は長かった。
毎朝母がきっちりと編み込みをした。
クシの持ち手の尖った部分で地肌に線を描くように、それはもう几帳面に髪を取り分けた。
完成した編み込みは、寸分の乱れもなくいやにきっちりしていて、わたしは好きではなかった。自我が芽生えるほどにその髪型は嫌になり、朝髪を結われる時間が憂鬱で仕方なかった。きっちり結われないように、少しでも緩みがでるように、僅かな抵抗で頭を動かしたりしたが、手元が狂い苛立った母にヒステリックに怒られ頭を殴られて、完璧ではなくなってしまった結いかけの髪を引きちぎられるかと思うほど乱暴に解かれた。恐怖に怯えた私は、また一から寸分の狂いもなく髪が結われるまで、微動だにせず待ち、メソメソと泣きながら家を出る羽目になった。そして、そうやってヒステリックに母が怒るのは、大抵父が仕事に出かけたあとだった。

今思えば、母は幼少期の私たちを所有し、コントロールすることで安心し、自尊心を満たしていたのだなと思う。母は愛情深かったが、絶対的で、わたしも兄も小さいころは何をするにも母の顔色に敏感だった。同時に、小学校のころは友達や友達のおうちが、自由と野性味に満ち溢れているように思えてならなかった。
わたしは母が選ぶ「いいとこのお嬢さんのような服」一択だったが、友達が毎朝自分の好きな服を選んで着ているのを知ったときは驚いたし、羨ましかった。
お友達の家に行く時も、友達同士がその場で約束を取り付けているのに対して、まずは母の了承を得なければと無意識に思う子供だった。

小学校高学年になるにつれ、わたしはぷくぷくと太りはじめた。思うように着飾れなくなった母から、時折蔑まれた。編み込みはされなくなり、ポニーテールになった。ストレスで食べていたのもあったのかもしれないが、無意識に母のお人形としての外観を壊そうとしたのかもしれない。

今日浮かび上がったのはここまで。
少しずつ、無理なく書ければと思う。