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蓋の向こうにある解放

元旦に、泡洗顔フォームの蓋を勢いよく開けてふっとんだ。
洗濯機の下に。

洗濯中だったため、水が重く動かせない。
ものさしで蓋をかき出そうとしたが手応えがない。
半日後、水のなくなった洗濯機を動かそうと思ったが、それでも重くて動かせない。
硬い体を床まで曲げて洗濯機の下を覗き込むが、黒い空間が見えるだけだ。
そうだ、蓋は透明だった。
黒と同化して見えなくなっているんだろう。

見当たらない!
洗顔フォームの蓋が!!
元旦から!


私は、蓋探しを諦めた。


その日から洗顔フォームの蓋を外すことなく、洗顔をしている。
最初は「あ、蓋…」と思い出していたが、
だんだん解放的な気持ちになってきた。
出して、すぐ洗顔。
蓋を開けずに、すぐ洗顔。

動作がひとつ消えている。

解放。



私たちは人生の中で、何度「蓋」を開け閉めしてるのだろう。

ある調査では、人は「探し物」に年間150時間近くを費やしているという。
これを聞くと、「蓋」を開け閉めしている時間は、その1/10の15時間程度あるかもしれない…と思えてくる。

洗顔フォームの蓋に始まり、みりんや酒、味噌の蓋。保存容器の蓋、鍋の蓋、マイボトル、絵の具の蓋、マジックのキャップ。
酸化や水分の蒸発を防ぐために機能として必要な蓋もたくさんあるだろう。

しかし、泡洗顔フォームの蓋はいるのだろうか。
ボトルシャンプーに蓋はない。
石鹸は裸のまま放置されている。



先日、取っておきたいお菓子箱の蓋についたシールを剥がしていた。
剥がし液をシールとパッケージの間に少量ずつ注入しながら、
ツンとくるアルコールの匂いに包まれ、
注意深く箱からシールを離していく。
シールとパッケージの相性が悪く、なかなか取れない。
ネバネバした粘着剤と剥がしかけのシールが、口を開けた怪獣のように見えてくる。

「絶対にツルツルの表面に戻したるわ!」

奮闘して10分ほど経過した時、
少しパッケージの印刷が破けてしまった。
「悔しい…!10分も頑張ったのに。」
剥がし液まで買ったからには、綺麗に剥がせるだろうという期待が怒りに変わった。

しかし、破けをそのままに、ベタベタを綺麗にふきあげていくうちに
またしても解放感が生まれた。

余分なものがなくなる解放感だ。




なぜ、私たちは蓋をしたがるのだろう。
なぜ、蓋にさらにシールを貼るのだろう。


中身が出ないようにするため。
中身を保護するため。
機能的な理由を超えて

私たちは過剰に蓋をする。


多くの商品は、
過剰なものありきで売られている。


必要がある無しの判断はすでに製作者側で済んでいる。
消費者は疑問を持たずにただ受け取る。

余計なものをつけられたまま、受け取る。
そして時間も消費させられていく。



しかし、嘆くことなかれ。

過剰なものをこの手で捨てることは、
解放感を生む。

いらないと判断して捨てることは、
創造と同等だ。

その時、
自分の価値を創り出しているのだから。


製作サイドと我々の
価値と価値のバトルなのだ。


なーんてな。







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