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「自己責任」って何だろう?
クレジットカード会社に、詐欺にあった経緯を説明して再発行してもらう手続きをとっていた時、彼らは、
「それはお客様の自己責任ですので保険の対象にはなりません」
と言った。
落とした場合は保険の対象になるらしい。
詐欺の相手にカードが知られてしまった場合は自己責任になるらしい。
???????
落とすのも、自己責任じゃないの…?
「自己責任なので、相手がカードを不正利用していたとしてもこちらでは止められません。お客様の方でご解決ください。」
うわぁ…
むっご…
つくづく、詐欺に遭うって
自己責任論が突きつけられるんだな〜
はい、そうです。
騙された私が悪いんです。
それは、百も承知なんだけどさ。。
自己責任って、取扱注意の言葉だと思う。
まず、私が自覚しているのは、
・非通知をとってしまった。
・詐欺に遭う原因は私の弱さにあった。
・信じておカネを渡してしまった。
これは、責任があると思う。
でも、
相手を騙そうとして、実際にお金を取った
プロの仕掛け人に、
不意打ちで引っかかってしまって
その人に対して
自己責任でしょう。知りません。
の連続だと、むごいなぁと思ってしまうんだよね。
うっかりミス、テヘペロ(๑>◡<๑)とかじゃなくて
意図的に攻撃されるわけだから。
考える時間とか与えられないから。。。
これ、他の被害者の方ってどう感じてるんだろう?って。
多くの人が打ちひしがれている状態で
「自己責任」を突きつけられ続けて
自分を責めて追い込んで鬱になったり、
どんどん相手に恨みを持ったり、なんとか取り戻そうと二次被害にあったり、
心がよからぬ方向へ荒んで行くような気がするんだよね。
性犯罪でも同じように扱われるのだろうか。
「性犯罪に遭ってしまうのは、あなたの自己責任です。」
「あなたが、本当はそうされたいと望んでいたんじゃないですか。」
「そう仕向けたんじゃないですか?」
なんて言わないよね。
そんなこと言う人いたら人間性疑うよね。
犯罪って向こうが明らかに悪意を持って仕掛ける行為。
それに事故的に遭遇してパニックになってなすがままになってしまった人に対して
「自己責任です」
あるいは
「こちらでは対応できかねます」
という
これらすべてが
「私は知りません。自分で解決してください」
という冷た〜〜い分断のエネルギーを感じてしまうんです。
こういう対応の中で、
すごく心を癒してくれた方がいたんですね。
その方は、相談員でも警察官でもなく、
保険証の会社の女性でした。
「どのような経緯があったのがお話ししていただけますか?こちらで出来ることを対策しますので」
と言われて、事件の経緯を話した。
その時はまだ日も浅かったので話すのがちょっと苦しかったけど
すごく親身に聞いてくれた。
「そうだったんですね。とてもお辛いことをお聞きしてしまって申し訳ありませんでした…。」
別に、彼女が何かを解決してくれたわけではない。
でも、その関わり方に、私は感動したのです。
電話越しの顔も知らない相手に対して、
定型文の「それはお客様の自己責任ですので、対処できかねます」とならず、自分の言葉で応答してくれて、経緯を説明するために話した事務的な内容であっても、心を傾けて聞いてくれた、と言う感じがあった。
セラピストでない人に、私は癒され、涙したのだ。
言葉の持つ破壊力って凄まじくて
「自己責任です」って言葉は、ダメージを受けた直後にはとてもキツイ。
だって自分が一番わかってるんだもん。
それに対して、決まりを伝える役割のオペレーターが何が出来るよって
そんなのいちいち人に合わせて傾聴してられないよ。傾聴代金くれよって思われるかもしれないけど。
仕事をするって、ノルマをこなすことなのだろうか。
上手に対応することなのだろうか。
その場に合わせてほんのちょっと言葉を変えることは不可能なのだろうか。
「自分は関係ない」と言う態度は
巡り巡って犯罪を生むと思う
他人が会社クビになろうが、お金を盗まれようが、病気になろうが、死のうが、キリがないし、知ったこっちゃない。
だから他人からお金を奪ってその人が苦しもうが自殺しようが関係ない。
他人が悲しむことと自分が生きることに何の関係もない。
そう言う思考が犯罪につながっていると思う。
「自分と他人は関係がない」という思い上がり。
じゃあ、私がこの思考を持っていないかと言われたら結構ドキッとする。
だって、ずっと「孤独」を感じていたから。
孤独を感じるってことは自分と他人が関係ないって言う思い上がりがあったからだと思う。
誰も私のことをわかってくれない!って、実はめちゃくちゃ思い上がりだったのかもしれない。私がたった一人で自立して生きてきて誰とも関係してないだなんて、何で思えたんだろう。多くの人や環境が存在しているのに、見えていないだけではないだろうか。
確かに、ニュースで戦争の記事を見ても遠すぎてリアルに感じられないかもしれない。
だけど、たまたまご縁があって目の前に困った人が現れた時、
私は保険会社の人のように振る舞える自分でありたい。
自分の一存で解決できることがないとしても、
ほんの少しでも、関わりがあった時間に相手にできることをしたい。
ただ大切に話を聞くことかもしれないし、何か一言ホッとする言葉をかけることかもしれない。自分ができることをしたいのだ。
ほんの5分の関わり合いでも
相手を幸せにするか不幸にするかどちらの可能性もある。
それくらい、人と人の関わり合いは影響力があると思う。
マニュアル対応の外にちょっとした工夫が垣間見られた時、
私はとても気持ちが良くなる。
その人の人間性が見えるから。あったかさがみえるから。
あったかい人でありたい。
あったかい人を増やしたい。
あったかい人とあったかい人の
人間味ある関係性
これがたくさんできたら、もっと平和な世の中になると思う。
一瞬でもいい。
関わった人と人間味あるコミュニケーションを取りたい。
責任を引き受ける
人と人は強く影響し合い、関係し合っているんだから、
目の前の人にあったかく接しましょ♡
と言う話をしました。
さて、タイトルの「自己責任とは何だろう」についてもう少し回収したいのだが、最終的には、責任を自分で引き受ける、というプロセスが自分を救うことにつながると思う。
誰かのせいにして生きることは恨みや怒りをずっと持ち続けることになるから、結局自分を苦しませ続ける。これは自分を救えない。
ただ「責任を引き受ける」は、当事者本人が自身にかける言葉だ。
他人が「自己責任だ」と責めるために使う言葉ではない。
それぞれが、「責任を引き受けます」と言い合える社会になっていかなければならないのだ。
ここで注意なのだが、
「最終的な責任を取るのは自分しかいない。」は、
「すべてを一人で解決しなければならない」という意味じゃないよ。
ぜひ信頼できる人に少しずつ話をしてほしいと思う。
どんどん人に頼ってほしい。
対話を通じて、自分が感じていることや考えていることに気づいて、他者の意見を受け入れながら、自分の道を選ぶこと。
その選択のプロセスこそが、「責任を引き受ける」ということだと思うから。
「責任を引き受ける」を、
「自分しかいない」と捉えると孤独に思えるけど、実は、
「自分を信じる力」
として見れば、それが 新たな強さ✨になる。
だから自己責任っていう言葉は、自分を信じる力を秘めている。
「あなたは解決できる人ですよ」って意味を含んでる。
「これは自己責任ですので、こちらでは対応しかねます。」
↓
「私たちには到底太刀打ちできません…!
でもあなたなら解決できると未来が申しております。」
と変換して考えてみてはいかがかしら。
ちょっとムキっとパワーがみなぎってきません?
<本日のまとめ>
「自己責任」という言葉は他人に向けて使う言葉じゃない。
ひとりひとりが「責任を引き受ける」社会になるべし!
自分と他者は関係なくない。
常に影響し合って世界が成り立っている。
だからこそ、出会った人にあったかい心で接しよう。
「責任を引き受ける」=「一人で解決しなければならない」ではない。
人との対話を通じて自分の道を選択していくこと。
それは新たな強さであり、自分を信じる力である。
そいじゃ、またね〜!
Qちゃんより