『ホモ・ルーデンス』考察1
まずは本書の構造を見てみよう。
第一章
結論めいた抽象的な「遊び」概念を提示。
その独立性、根源性、神聖さを説く。
第二章
先に提示した遊び概念へ踏み込む前に、各言語における遊びを表す言葉の細かいニュアンスや言語的背景を記述。
(私見であるが、新しく提示された「遊び」概念を読者の母語からみた時に
もともとそれらの言語が持っている「遊び」の言葉へ引きずられて理解されてしまうことを防ぐための布石ではないかと思う)
第三章から第十章
競技、法律、戦争、知識、詩などの分野における具体的な遊び現象の考察。
(各分野それぞれに重複する部分があるが抽象レベルのフォーカスはその分野における具体的遊びそのものについてであることを留意せよ)
特に第六章・知識、第七章・詩、第八章・詩的形成、第九章・哲学では
重複する物が多い。
第十一章
新たな「遊び」概念をヨーロッパの歴史に当てはめ、その要素がどう変遷していったかを評価する。
第十二章
新たな「遊び」概念を(1938年当時の)ヨーロッパ現代文化に当てはめ、その要素を評価する。
「すべては遊びなり」という結論。
長い。そう、長いのである。
これはひとえに「すべては遊びなり」という結論における「遊び」が、これまでにない斬新な概念であり、「人生なんて単なる遊びなのさ…」といった使い古された虚無的な嘆息とは一線を画するものだからだ。
例えづらい概念を説明するために
結論 → 根拠 → 説明 → 結論
という、どちらかと言えば理系の論文などに採用されるパターンの文章構造になっている。
まどろっこしいと思う方は、第十二章だけでも読んでおくとホイジンガの慧眼にふれることができる。
我々の生きている現代にも、いや現代にこそ、より当てはまる指摘がおおいにある。
まとめ
・ホイジンガの主張する「遊び」は普段私達が使っている「遊び」概念とは違うものである
・長い。
・オイシイ部分は第十二章
次回以降は一章ごとに細かく読んでいく。