小豆沢家の一族(3)
小豆沢家の悪いところは一つ。他山の石が実践できないところである。
本当はもっとたくさんあるかもしれない。いや、間違いなくある。でも、今書いている時点で思ったのはその一つだから、この気持ち、ウソではない。言葉の綾。別に構いませんよね。
人の失敗談はとにかく大好き。毎日がぶ飲み。二リットルは摂取したい。そこから何かを学び取り、人間としてちまちま成長していっていればきっと、明治が始まった時点では華族に序列されていただろう。
だから、先祖に対しては怒りを覚えている。なぜ君たちはもっとちゃんとしてこなかったのだ! と。
他人の失敗をげらげら笑って、あー今日もええ日やったなぁーさあ晩飯何食べよ? とやり続けてきた結果がこれだ。学べ! 今からでも遅くはない! 百年後にはパワハラをしない優しい兵庫県知事ぐらいにはなれるかもしれない!
しかしまあ、おそらく同じことを子孫に言われる。維新回天の小豆沢家も、令和の小豆沢家もこれといって精神が成長していないからだ。
つい、二週間ほど前の話だ。
「あいつほんまアホやねん。ゴルフの練習やー言うて、家の中でええ気持ちで一番ウッド振り回してて、ついにでっかい窓にヘッドぶつけて粉々に割ったらしいで!」
夕食の場、兄がスタンダップコメディアンのように大きな身振りで友人の失敗談を説明する。
「そらやってもーたなぁ。家ン中で一番ウッドはあかんでさすがに……九番アイアンぐらいにしとかななぁ」
父が論点のずれたとぼけたボケをかますので、
「そういう問題ちゃうから」と、私が話を閉じる。そもそも違いがよくわからないので面白いのかどうかもわからない。
「あれまぁー……で、なんぼしたんその窓?」
母は損害にしか興味がない。
「なんとな……」
兄が声をひそめ、テーブルの下からパーにした右手とチョキにした左手を静かに挙げる。
「ななまん?!」
私も含め、家族の声がシンクロした。
「ななまんか……」
「ななまんなぁ……」
「えー……ななまん……」
しばらくの間、ななまんななまんななまん、と浄土宗の念仏のようなうめき声が食卓を満たした。
「ななまん言うたら……あれやん……国民年金並みやんか……一か月分……いったぁ……」
母が沈痛な面持ちで白米を口に運んだ。
「私がこないだこうたギター三本半ぶんやん……手が七本要るわ……」
私が格安セミアコの話をした途端、母が睥睨してきた。
「あんた、それ、こないだ届いてたあれのこと?! あのトムとジェリーのチーズみたいな箱で中国から来たやつ! そんなにしたん?!」
「あ……ああ……おいし」
目を合わさぬよう、味噌汁をすすった。
「まあまあ、セミアコにしたら安いほうやで、普通にこうたら十万はくだらんからなぁ」
「そうなん? そんな高いん? ふうん、ほなお買い得やん。もうけやな」
兄が嘘で固めた助け船を出してくれた。こちらを向く笑顔に恩着せがましい色を濃厚に感じ、暗澹たる気分になった。
「まー家で暴れるんはよーないちゅうこっちゃなぁ。バットの素振りしたぁてたまらん野球少年ちゃうんやから、大人になったら節度のある行動せなあかん! 野球の素振りはグラウンドで! ゴルフの素振りは打ちっぱなしで!」
父が適当なまとめをした後、しばらくどうでもいい雑談をしていると、兄がやおら席を立ち、靴ベラを持って返ってきた。
「そういや、俺こないだ、武術やってる友達からおもろい技教えてもろてん。手首やりこーにつこて、剣を身体の周りでこんなふうに」
言うやいなや、靴ベラを振り回し、不器用に回し始めた。ジャッキーチェンがこんな感じのことを、百倍ぐらい美しくやっているのをそういえば見たことがあるが、地球の裏側から眺めているぐらい別モンだ。
「なにしてんの! 危ないやん! あんま近くでやらんといて!」
私が抗議すると、兄は「へいへい」と言いながら居間に繋がっている和室に足を運び、そこでガタガタな型を続けた。
「ああ、でもなんとなくやりたいこと見えてきたわ」
「せやな、はじめてにしたらうまいもんやで」
父母が適当な発言をするものだから、兄は調子に乗り、回す速度を上げた。
「おりゃああ」
兄の空回りが最高潮に達したその時。
がしゃん!
兄の頭に白い雪のようなものが降り注ぐ。
家族の時が止まった。
彼の靴ベラは和室のシーリングに見事命中し、一部割れたカバーの砕けた破片が床に落ちていたのだ。
「あ……」
「あ……」
「あ……」
「あ……」
四人のカオナシは力なくお互いを見つめた。
「あ……ま、まあ……七万に比べたら安いもんやで、なあ」
父がよくわからない理屈をひねり出し、凍った空気を溶かそうとする。
「せ、せやな……まあ……一万もいかんのちゃうかなぁ……」
母も兄の愚行を止めなかった負い目があるのだろう。口惜しそうに流れにのっかった。
「せ、せやで兄ちゃん! 仮に一万としたって七万と比べたら六万のもうけやん!」
私も先ほどの恩があるため、責めるに責めれない。
「そ、そう……そうやな! ははは! 儲け儲け! 今日はぱあっといこか!」
「……まずは掃除してからや」
ここは母がきちんと釘を刺し、兄は「はい」と肩を落とした。
自らの犯した過ちを繰り返すのは愚行である。
他人の犯した過ちを、ここぞとばかりになぞりにいくアホさは、どう表現したらよいのだろう。
小豆沢家では今日もまた、人のことを笑うことで、自らを戒め、アホの連鎖を断ち切る! ……ことはなく、アホの再生産という人間のカルマをわざわざ背負いにいっているのである。