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ネット音楽活動の思い出➁(2022秋~2023春)

 2022の秋。二回目のボカコレ。始まる前から不穏な空気が漂っていました。

 マイリス戦争。自薦抗争。

 と、私が勝手に名付けた戦いが繰り広げられたのです。知ってる人は、「あーあれね」とわかっていただけるでしょう。

 知らない人のために一応説明しておきます。ボカコレの開催前に「あなたの曲を優先して聴くリストにいれます!」というツイートがポストされました。
 これは、そのように宣言することで、返報性の原理、互恵関係を利用して自分も優先して聴いてもらおうとする企てだと思ってます。
 最初に考えた人はすごいなと思いますが、燎原の火のごとく、そこら辺中の人が全員やってんじゃないかってぐらいに、この手のポストがあふれはじめました。
 その時私はこう思いました。
「あれ? ボカコレってみんなでワイワイするお祭りじゃないの? なんだこの血で血を洗うような事態は?」
 純粋に人の曲聴きたいからやってる人もいるはず。うがった見方をするな。という考え方もあるかもしれませんが、これは私の感想なので私の気持ちが100%真実な世界です。

 一旦、Twitterを離脱しました。見るのが嫌だったから。

 ボカコレ当日あたりに復帰して、自分の曲をアップしました。

 次に目の当たりにしたのは「自薦抗争」です。

 これは単純。「私の曲、聴いてください!」
 と突撃することです。文脈に沿った場合(自薦募集! どんどんリプに貼って! みたいなやつに対して)はいいと思うけど、沿ってないケースも多々散見されました。

 やっぱり、辞めようかな。

 と思いました。あんまり向いてないみたいだから。

 ツイートを見てると、私同様「なんじゃこりゃ」と思ってる人も少なからずいたので、こういう事態に対して運営はなんか対処するのかなと思ってました。

 ところが、何もありませんでした。

 お祭りだからなんでもあり。
 ランキングは楽しませるための工夫。
 自薦は自分の曲のマーケティング、プロデュースだからいい。

 といったような見解だったと思います。

 お祭りという形態だからコンペのように厳格なレギュレーションを設けなくても良い、という理屈です。

 ニコニコというのはこういう場所だ。自由=ニコニコなのだ。

 という概念でもって説明する方もいらっしゃっいまして、私はここで初めてニコニコというものの文化を知ることになりました。

 私はその考え方に対して、結構な不快感を持ちましたので、次のボカコレに出るのはもう辞めようと思いました。

 その当時、歌い手さんとのコラボ案件もあって、本来私のやりたかったこと(自曲を誰かに歌ってもらって楽曲として完成させる)が実現できていたので、ボカロにこだわる理由は無くなっていました。

 結局最終的には出ることにしました。

 これは実験してみたかったからです。

 私のような無名の活動家の曲は(実感として)ニコニコから検索されて再生されることなどほとんどないんじゃないかと思っていました。

 Twitterでの知り合いが、Twitter上でのポストを見て聴いてくれてるという印象だったので。

 というわけで、ボカコレ当日にアップはしたものの、Twitterでは一切何もポストしませんでした。このまま前半戦二日間を過ごしました。
 そして、後半戦に差し掛かったところではじめてTwitterでポストしてみました。私も実は曲出してるよー! と。

 結果として、やっぱりTwitterからの流入がメインだということがわかりました。

 なんだかすごく納得感があったので、2023年の3月をもってボカロP活動自体を辞めることにしました。

 これからは人の歌唱を中心とした活動をしようと、方向性を変えたのです。

 ボカロ文化を含めたニコニコ文化に嫌気がさしていたというのが大きかったと記憶しています。

 その辺りが最終的に結実して、2023年の夏にボカロ関係で炎上して、自分の中で、完全に、気持ちよく、ブチ切れることができたので、ニコニコを辞めるということに相成ったのです。

 続く。

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