ポストをすることの危険性について
近頃、というわけではないが、とかくにXの世界は荒れている。有名人に対して、一般人がルサンチマン丸出しの誹謗中傷をする、という構図はSNS時代以前から見られたもので、有名税などという言葉も存在する。
ここ最近、私が見てきたものはそうではない。一般人が一般人を攻撃している。なんなら、有名人が一般人を攻撃していた。これはもう、どう表現していいのかわからない。性格が悪い、としか言いようがない。
SNSにポストするものは全世界に公開される。それはおそらく誰しもが、「一応は」理解していることだ。
実際は、そうは思っていないことが多い。少なくとも私はそうだ。
フォロワーたちとのコミュニケーションの一環として、内輪の話のつもりでポストすることも多々ある。というか、その使い方がほとんどだ。
もちろん、世間に問いたい、という気概をもってポストすることもある。それは内容で使い分けているつもりだ。
内向きか外向きかは読めばわかるだろう。
と。
ところが現実はそう甘くない。外向きの話は誰にも読まれず、内向きの話のほうがインプレッションを得る、なんてことも多い。
私が見たポストは、個人的なつぶやきに読めた。前後のポストからの流れを読んでもそうだった。内容はボカロPに関するものだった。
そのポストに対して、その方のフォロワーがそういう面もあるよね、といった話でコメントを書いたり、リポストしたりしていた。その方もボカロPであったため、自戒をこめた内容だと思った。私は「ふむ。なるほどね」と感じた。
どこからか、何かが狂った。
ポストを非難するポストが急激に増え始めた。
「そんなことない」
「わかってない」
一般人対一般人の争いが始まった。
しばらくすると名の知れた人が参加しはじめた。
「そんだけわかってるならお前がすごい音楽作ってメジャにしてみせろよ」
意訳すればそんな内容のポストをした。
そこにあふれる賞賛の声。
「さすが!」
「あなたが言うと説得力ある!」
もうこれはなんなんだろう。
地獄を見せられているのだろうか。
言葉は切り取られ、曲解される。
断定され断罪される。
大きなものが小さなものを容赦なく叩く。
おぞましいものを目の当たりにした、と感じた。
こんな風に言論を封殺しておきながら――おそらく――政府の圧力で、だとか、マスコミの報道は、等と権力に対する言説を述べるのだろうなと思った。
浮気を疑う束縛気味の人間は、自分がするから人もすると思って疑っている、という話がある。パワハラだとかなんだとか、声高に叫ぶ人ほど、他人に対しての態度が悪い。
この話、おそらく、「主語が大きすぎる」という反論が出るだろう。先ほどの「ボカロPは」というポストにもあった。
ほんの少しで良いから考えてほしい。ある程度主語をまとめないと何も言えないはずだ。Aさんは、Bさんは、と個別に言うしかなくなる。この世の評論文は全て焚書しなければならないことになってしまう。
統計データは全て、なんの意味もないことになる。
東京は生活費が高い、というデータにも「主語が大きい。そうじゃない人もいる」と文句を言うのだろうか。そんなことわざわざ言われなくてもあなた以外はわかってるから、気にするな。と言ってあげたい。
こんな皮肉を言いたくなるほど、私は気分を害したのである。文脈を読め。名のある人間が名のない人間の何気ないポストをムキになってつぶそうとするな。と。
気軽にポストをできる環境ではない、ということが浮き彫りになった。ちょっとした軽口でも、誰かの義憤のようなお節介心に火をつけてしまうかもしれない。それがもし、一般人ではなく有名人だったとしたら?
とんでもない怨嗟の炎に包まれることになる。
うっさい黙れやボケ。おのれは関係ないやろがい。私と話したこといっぺんでもあるんか。どっかいけや。
と言っても無駄である。それが当たり前の論理であったとしても。なんせ相手は有名人。論理的にこちらに分があろうがなかろうが、数の力には負ける。
SNSはびっくりするぐらい民主主義である。そう。数の力が全てなのだ。これがポスト真実の世界だ。
真実かどうかなんて関係ないし、どうでもいい。大多数が「カラスは白い」と言えば、それが世論になる。
東京都知事選でも兵庫県知事選でもそういう事象は起っていた。真実は闇の中。「こうではないだろうか?」というもっともらしいストーリィを紡ぎ、大多数に認められたら、それが真実になる。
それが悪いこととは思わない。これは墓場まで持っていく。という秘密は誰にでもある。それを隠すためにオルタナティブなストーリィをみんな紡いでいる。昔からやっていることだ。規模が大きくなっただけ。
ただ、喧嘩する材料につかうな、と言いたい。見苦しい争いは仲間内だけでとどめ(例えばDMという機能がありますよね)、距離を置きたい人間には触れないようにしてほしい。世間に喧伝するという意味合いがあるから見せなきゃならないという内情はわかるが。
私はXから離れた。なにも見たくなかったから。
一週間程度経つとそこそこムカつきが落ち着いた。
戻ろうと思った。
Xを開いた。
別の話題が炎上していた。
こみあげてきたのはシニカルな笑いだった。