小豆沢家の一族(五)特別編――兄
父のお次は兄である。連続して楽な道を選ぶ私に幸あれ。
おそらく、私が今までで一番言及している家族が兄だろう。やはり兄妹なので、一番良くわかり合えているという相対的な部分もあるし、家族の中でも一番アホな話が多いという絶対的な理由もある。
ここで父と兄の違いについて述べよう。このときの兄は、しかつめらしい顔を作り、腕組みまでして一生懸命考えているという様子をこれでもかとばかり醸し出しながら「……多分、ええとこ760ぐらいちゃうかなぁ?」と言っている。演技派なのだ。今ワタシはボケてますよ、と内外に表明している。ツッコんでくれと、その真面目に作り上げた表情が雄弁に語る。
おそらく父なら、こちらに目も合わさず、ぼんやり窓の外を眺めながら同じセリフを言うだろう。おとぼけ系なのだ。本気で言っているのかボケているのかわからない。
兄はとにかく女の子が好きだ。可愛い子には目がない。
人生の小道をどういう風に歩けば、こういう状況になるのかは知り得ないが、案外モテている。彼女らしき人も大体いつもいるようなイメージだ。詳しく聞いてしまうと、知りたくないことを知ってしまいそうなので、聞かないことにしている。
「便座にだって雑菌がうようよしているのと同じで、お前が知らないだけで、街中にだって楽しいことは山のように転がっている」
そういえばいつか兄がこんなことを言っていた。比喩表現としてどうなのか、とは思ったが、彼のメンタリティを如実に表しているのではないだろうか。
しかし、アホである。
ここでも小豆沢家の裏家訓、「同じ過ちを繰り返せ」が生きている。
「後悔するぐらいなら、迷わず二の轍を踏め」
そういえば、そんな迷言も吐いていた。一見良いことを言っている風だが、よくよく考えると単なる中毒者の戯言にしか聞こえない(彼は酒もタバコもギャンブルもしないので、少しは安心)。
そんな兄もたまーーーーに落ち込む。
なんだかんだ言いながら、勝手に一人で立ち直っていく。こういうことが、最近流行りのレジリエンスというやつなのだろうか。イーロンさん、Xで雇ってあげてください。めげません。
人間の進化の真価は、「忘却すること」だと思う。今を大切に。過去には囚われずに。という観点からすると、同じ失敗をしてもいいんじゃないかと、前向きに思えてきた。
本当にくだらないんだけど、スマホを見て過ごすよりかは有意義かもしれない。
まあ、なんというか。蓼食う虫も好き好きという言葉があるので、こういう人間を好きな女子もいるだろう。
ところで、私はこのときに、はじめて「あばれはっちゃく」なる言葉を知った。手の付けられない暴れ者、という意味らしい。もともとは昔あった小説、テレビドラマあたりで流行った言葉らしい。年代的に兄ですら世代ではないので、「なぜ知っているんだ」と聞くと「ボンバーマンで使う用語だから」と回答があり、余計にわからなくなった(いまだにわからない)。
こういう努力はかかさない人である。
禍福は糾える縄の如し。禍を転じて福と為す。
それを地で実行しているのだろう。
なんだかんだ言ってはいるが、それなりに色んな方面で頼りになる兄。それなりに尊敬もしている。
彼の知識が一番役に立つのはこういう方面。
音楽関係でも頼りになるようなならないような。うまく使われたような。
時々クイズが届く。ちなみにこれは、5kmをランニングしたときのタイムだったらしい。んなもんわかるか。
兄の本アカウントを見つけた方は私にまでご一報を。
現在の見通し。小豆沢家は私たちの代で終了する。父母も諦めモード。お家の存続には興味がなさそうだが(前回の、朽ちるに任せているお墓の写真を見よう)、孫は見てみたいという雰囲気は出してくる。
先に、しかし、ここで言っておこう。
ごめんなさい。
兄はやろうと思えば結婚もできるんじゃないかと傍目には思っているが、本人にその意思がなさそう。私は意思があったとしても相手がいなさそう。
まあ、従兄弟たちはいるし、我々の遺伝子の大元はまだ絶えまい。ミクロな観点での小豆沢家はここで終わりそうだが……。
そういえば、この話とは関係ないのだが、知り合いに石油王がいる方はすぐに連絡してほしい。
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