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中二病から抜け出せない大人たち

wikipediaからの引用(インデントのさせかたが分からないので、そのまま記述する)。

中二病(ちゅうにびょう)とは、「(日本の教育制度における)中学2年生頃の思春期に見られる、背伸びしがちな言動」を自虐する語。 転じて、思春期にありがちな自己愛に満ちた空想や嗜好などを揶揄したネットスラング。

端的に言えば、「何にでもなれる自分を信じている」こと。
中二病であることの定義はこれだと私は考えている。

この精神状態を克服し、現実を直視し、「特別な何かにはなれないと気づく」ことが大人になることだ(大多数の人にとっては)。


自分と現実との折り合いをつけたとき、人は初めて地に足をつけることができる。

あり得ない夢を頂いたり、幸せの青い鳥を探したりすることは、厳しく咎められてきた歴史がある。身分制度というのは、それらを明確にルール化したものだ。貴族は貴族。農民は農民。

今でも、リアルな世界では諫言されることが多い。親に先生に友達に。「いつまで夢見てるの? いい加減大人になりなよ」と。

ところが、その風潮が変わってきている。世界で一つだけの花が流行ったのは、スマップの人気も大いにあるが、歌詞の内容が「若者」と「大人になれない大人」に響いたからではないかと、私は考えている。

個性が大事だと、様々な機会に言われ、ありのままを良しとする意識が高まっている。海外の研究で、昔と比べ今は、学力は上がっていないのに成績が上がっているというものがある。なぜか? よくわからない基準で成績をつけようとするからだ。その結果「これでいいんだ。認められているんだ」と思いながら、幸せの鳥を探し続けながら、現実と向き合わないまま大人になっていく。

さらに、ネットの存在がある。
ネット社会が似た者同士をよりつなげやすくすることは、様々な研究から明らかになっているし、企業の戦略としても当然だ。おススメには自分と似た意見、人が現れ、「やっぱりな」と思わせることで、プラットフォームの滞在時間が長くなるよう仕組まれている。

つまり、「大人になれない大人」は「大人になれない大人」と結託し、互いに大きな夢を語り合い、現実との折り合いをつける機会をペンディングさせつづけているのだ。


しかし、皮肉なことに、現実の社会は教育現場での教えとは異なり、特段寛容になったわけではない。パイは決まっている。誰でもスターになれるはずがない。

こんなはずじゃなかった。自分はできるはずなのに、何にでもなれるはずなのに。何か社会がおかしい。

彼らはネット社会の温かい寝床に帰っていく。掲示板で他者に対する文句を書き込み、ゲームの世界で偉くなる。求めていた自分をそこで手に入れる。


精神構造が幼いまま、キラキラとしたものに惹かれ続けるのだ。


最近、女子中学生の将来なりたい職業でボカロPが二位になったというアンケート調査結果が出ていた。女子高生になると十位圏外。一位は公務員。

日本の女子は、とても健康的だと思った。

現実を見据える能力というのは、生きていく上で最も大事なものだ。
芸術分野はパレートの法則がもろに成り立つ分野だと思っている。
一握りのスターがほとんどすべてを持っていく。
多くの人がそこに挑戦しようという社会は健全でなく、どこかバクチじみて歪んでいる。

やたらと個性を礼賛し、無責任にバクチに向かわせることは、その人の人生と無関係な他人だからできるということを、肝に銘じておく必要がある。心地よい発言は甘い。甘いものは心身に悪い。

しかし、何を言っても、どうやっても、今日もまた、大人になれない大人は生まれていくのだ。

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