1126「言語化が助かるあれ」

溜まっている原稿もあるので、やや心苦しいが、休み中に嫁に「たまにはブログを書け」などと言われたのでとにかく何か書こうと思いつつも、通常使っているブログは、なんとなく4000文字以上書かなくてはいけないようなローカルルールができてしまっているし、仕事じゃない文章でそんな量書くような気分には1〜2年に1回くらいしかならないので、ああ、折角だからnoteで日記をつけてみよう、ということで日記にしてみる。

といいつつも、日記にするほど毎日のように何かが起こっているわけでもないし、なんというか私の一年の95%くらいは特に日記などに記録する必要のない日だったりもするし、「今日は○○さんとミーティングしたけど目を合わせてくれなかったし、きっと彼は私に興味がないんだろう」とかそういう箸休めにもならない陰鬱なことしか書かないような気がするので、ここでは日記と言いつつその日起こったことにはこだわらず、ランダムに読んだ本とか体験したものとかについて書いたりし、思ったことを起承転結も無く適当に書きなぐると思う。

数日続けてみて、続きそうなら有料にする。有料にする理由とかもそのうち書く。
あと、私はニューヨークに住んでいて、かついろんなところに出張が多い人間なので、たまに日付の感覚がなくなる。
年に1度くらいは本当に世界一周して日付が失われるので、厳密にはたぶん毎日書くような感じにはならないのでごめんなさい。

嫁に薦められて、借金玉さんの『発達障害の僕が「食える人」に変わった すごい仕事術』を読んだ。

私も診断済の発達障害者(ASD)だ。著者はADHDと診断されつつASDも併発しているような感じらしいが、私はASDと診断されつつ、この本を読んでいる限り、まあまあ自分でもADHDの気はあると思う。

自分のどのへんがASD(アスペルガー)でありADHDなのか、みたいなことを書き始めるとどうせ4000字を超えてしまって1〜2年に1回しか書けなくなるので、そのへんは小出しにするんだと思うが、この本はとても良い。

だいたい、どいつもこいつも発達障害に夢を持ち過ぎなのだ。
前に日本の書店で、マイクロソフトの社長だった成毛さんだったかの発達障害を購入して何ページか読んだのだが、なんていうか「発達障害の俺、人にない能力に満ち溢れててスゲー」みたいなことしか書いてなくて、本物のウンコ書籍だと思った。そんなことは女性が話を聞いてくれるようなお店で酒でも飲みながら語っていてくれれば良いと思うし、わざわざ紙媒体で印刷して公式ばって人に読ませないで欲しい。最近の日本の本屋には、そういうNewsPicksが腐ったような本しか並んでなくって、困ってしまう。

で、『発達障害の僕が「食える人」に変わった すごい仕事術』には、別に「すごい仕事術」は書いていないが、素晴らしいのは我々、そこれなりに社会に潜伏してどうにかやっている発達障害者が社会に適応するために知らず知らずのうちに行っている行動が、「茶番センサー」とか「会社は部族」とか、わかりやすいキャッチコピーと共に言語化されていることだ。

思えば、「発達障害」という診断そのものも言語化で、ひいては概念としてそうではない人に理解を求めて対処してもらうのに多大に役立つわけで(家族とか同僚とか)、そういう私たちの特徴を明瞭に言語化してくれる本として、この本は発達障害な私たちとその周辺で暮らす人々にとってすごく実用的な文章だ。

なんか日本では発達障害がブームになっているような気もするけど、発達障害の当事者は普通の人がスタスタ歩いていける道なのに、水中をかき分けて進んでいる程度には生きるの面倒なのであって、その苦しみをここまでわかりやすく言語化した本はあんまり見たことないので、尊い。

以前、東京のPARTY社にいた時に誰かが退社する際に、何か特殊なルール縛り(どんなんだったか忘れた)でビデオメッセージを送れって言われて、生理的に受け付けなくって、役員のくせにめっちゃ拒絶したことがあったけど、あれは完全に茶番センサー発動しちゃってたな。篠塚さんすみませんでした。