0421「チタタプチタタプ」
昨日の日記でも書きかけたのだが、とにかく海外在住者にとってのKindleというのは尊いもので、Kindle無しでは生きるのがやや辛い程度に重要なものなのだが、Kindle にしてもspotifyにしても、何にしてもだが、失っている大事なものがあって、それは何なのかというと、「家庭内セレンディピティ」である。
難しい言葉になってしまったが、要するに、親が好んで楽しんでいる何かが物理的に家に転がっていて、ある日ふとそれを手に取って、吸収したりするようなことが私なんかの時代はあった。
うちの父母は文筆系というか、二人とも詩人なので(母はもうずっと書いてないが)、よくわからない謎の本が家に転がっていたし、父はそれなりの枚数のレコードを持っていて、中には結構ハードコアなのもあった。
私の場合、本は、親が読んでいるものは難しいものが多くて、あんまり自分で手に取ることは少なかったが、レコードは手に取った。
一時期ずっと、細野晴臣さんの「銀河鉄道の夜」のサントラが家でかかっていて、やがて勝手に自分でも聴くようになったりしたし、唐突にマハヴィシュヌ・オーケストラの「Birds of fire」が置いてあったりした。ザ・スターリンの「虫」みたいなとんでもないものもあった。子供の頃から「天ぷら、お前だ!」なんて言って育った。
みたいな、「親が読んでいるもの」「親が聴いているもの」というものに小さい頃から触れるのは、愉快なことだと思うのだが、KindleやSpotifyだと、物理的にメディアが家に転がっていることがないので、なかなかその共有が起こらない。
例えば、私は「死役所」が大好きで、あの作品には大事なことがたくさん書いてあると思うが、全部Kindleで読んでいるので、長男は私が「死役所」を読んでいることを知らない。ただ、死刑になった人々が死んでしまった人たちの手続きをいろいろやる「死役所」で勤めている、という、買って読ませるにはハイブローな内容なので、わざわざ買い与えるものでもない。
もっと寂しいのは、たぶんちょっと前の時代なら、面白かった本を気軽に妻に貸して、内容について話したりできたはずなのに、妻はあまりKindleを使っていない。彼女と「死役所」について語り合いたいし、「転スラ」でも「不滅のあなたへ」でも、「ゴールデンカムイ」でも何でも良いけど読んで欲しいものはたくさんある。
夫婦としてずっと一緒にいるのに「チタタプチタタプ」って言っても分かり合えないのは、もったいない気がする。「チタタプ」を知らない人は「ゴールデンカムイ」を是非お読み頂ければと思う。
東京に家族で帰省した際に、私の部屋に置いておいた、書籍版の「夕凪の街 桜の国」を長男が読んでいたとき、すっごい嬉しかったし、もっとそういうのは日常的に発生するべきだ。自分にとって大事な何かを大事な人間が体験しているのは、とても大事なことだと思う。
そんなわけだから、読んだ本や聴いた音楽を家族で共有できるサービスなりがちゃんとあった方が良いように思って、なんかできないものかなと思うが、まだ休み中なので、復帰してからちゃんと考える。