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『ある男』の読後感

最近、孤独についてずっと考えています。
そんな折り、年末に平野啓一郎さんの『ある男』を読みました。

夫が事故死した後、夫はある事情から
戸籍を交換して、他人になりすまして生きていた事を妻は知ります。
「私はいったい、誰を愛していたのだろう。」と妻は考え
真相を知ろうと信頼している弁護士に調査を依頼し
徐々に夫(ある男)の過去が明らかになってゆく物語です。

多方面から社会問題を考えずにはいられませんでしたが、
中でも私には、愛にとって過去とは何だろう。という点を
最も深く考え、何度もため息をつきながら読んだ一冊でした。

愛にとって、過去とは何だろう。


『ある男』の妻、里枝が
最初からその事実を知っていたなら
果たして彼を愛していただろうかと
自問する場面があります。

もし、私が里枝の立場だったとしたら
自分の生活が精一杯の時に
いや、精一杯でなかったとしても
私はその時、どんな人間で在れるのだろうと考えました。

一生共に生きてゆきたいと感じる人格さえも
個人では変えようのないものが
愛する心に揺らぎを起こす。

それが、視覚障害があり少数派として
「なぜ?」「どうして?」と自問自答し続けて
長年生きてきた私自身だと思うと
なんと寂しいことだろう。
と感じました。

それが自分自身であるならば、
私が人に「わかられない」と感じる苦悩も
わかってもらえるはずがない。
そういうものだ。と
受け止めるしかないのだろう。
と思います。

その孤独感は、必然なのだ。

心から、そう認められたら
本当の自由を得られるのかもしれない。

サポートいただきまして、本当にありがとうございます。 どなたかご縁のある方のこころの奥に、私の言葉が届くとうれしいな~。と思って 書いています。とっても励みになります。こころから感謝をこめて。                              板橋真由美