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推したり萌えたり|力を借りて“よく生きる”|亜久津歩

こんばんは、亜久津歩です。Qaiのnote 10月の共通テーマは「推したり萌えたり」ということで、自分と「推し」なる存在について、お話します。

漫画『ここは今から倫理です。』(雨瀬シオリ著・集英社刊)に落ちた。倫理の教師「たかやな」こと高柳先生に落ちた。新たな“推し”との巡り合いに感謝する、また少し人生がよくなった。


特に好きな回、というより特別な回は、第1巻4話の「よく生きる」だ。「とにかく大人しくて目立たない子」本田奈津子と、彼女のぬいぐるみ・リュウくんのお話。eu・zen――人間の「アレテー」とは『よく生きる事』……そのようなことが語られている。LINEマンガなどで無料で読めるうちに、ぜひご覧いただきたい、そしてハマって買ってほしい。

高柳先生の、こんな台詞が出てくる。

「私には貴方が
 リュウくんの力を借りて
 “よく生きている”ようにしか思えません」
「…すごいなあ…
 こんな魂の形もあるんですね」


本田奈津子は、行き場のない感情をリュウくんに受け容れてもらい、支えにすることで、悪いことをせず他人を傷つけず、自分の心も守りながら生きてこられた。それを知っての言葉である。

これを読んだとき、【リュウくん】に代入できるものを思った。わたしにとってはLUNA SEAでRYUICHIで、詩歌で、バスケットボールだ。大切な「推し」や「好きなこと」を持っている人には、伝わりやすいかもしれない。

◯*

「そんなに好きなものがあって、いいね」

二カ月に一度くらいのペースで、誰かしらに言われている。これでも昔よりは落ち着いた。何かにどっぷりとハマるにはきっと、主体的な要因がいる。現状の人生や自分自身に満ち足りていたら、依存や中毒と呼べそうなほど何かに浸かることなどないのではないか。もちろん個人差はあれど、口を開けた洞が深いほど、奥底まで抱え込むことができる、できてしまう。そういうことだと思う。

十三歳の秋、わたしはLUNA SEAに出逢えた。瘡蓋を剝いだ桃色の皮膚のようにひりついた思春期の感性を、容赦なく刺し抜かれた瞬間を、忘れることはない。甘いトラウマのように一生囚われていくのだろう。彼らの音楽や言葉やそれに向かう立ち姿は、すべてを放棄したい衝動からいつでも護ってくれた。人生を棒に振っても終わりにしたい、らくになりたい、そんな夜更にも、わたしの世界はわたしが握っていて、この手に夢を持っていいんだと、孤独じゃないと、繰り返し聴かせてくれた。

わたしは【LUNA SEA】の、【RYUICHI】の力を借りて、辛うじて“よく生きている”方へ向かってきたのだと思う。四半世紀以上そうしてきたのだから、もはや切り離すことはできない。RYUICHIは、わたしの「魂の形」の一部である。

便宜上、RYUICHIを「推し」ということもあるが、彼はわたしの憧れであり、恩人で希望であり、光で祈りで、永遠だ。「RYUICHIがいないと生きていけない!」のではない。RYUICHIはすでにわたしの永遠だ。わたしの魂は、そういう形をしている。

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