八上比売を嫁にもらう(2)
絶世の美女との誉高い八上比売(ヤガミヒメ)邸に向かう大国主命とウサギ。目的はヤガミヒメとの結婚。
「八十神達はもう着く頃だね、急ぐよ。クニちゃん乗せて走るから」
「乗せるっ? 俺を? どこに? っていうか、さっきからすごいタメ口だよね。別にいいけどさぁ」
ウサギは背筋をスッと伸ばして直立、両の掌を胸で合わせてゆっくり天を仰いだ。目を閉じるとスウゥっと息を入れる音が聞こえてきた。大きく長く続く呼吸音とともにみるみるウサギの身体が赤みがかってきた。呼吸音が途絶えると、ウサギは呪文を唱えながら指で印を結んだ。一瞬全身が発光し、50㎝ほどだった体長は一気に3mに伸長、頭に2本の長いツノが生えた巨大ウサギに変化した。
「さぁ乗って、早く」
「えっ、えっ!? デカくなった……」
「今日は特別ですよ。1週間に一回くらいしかできないんで、これ。さぁ乗って」
大国主命は少し驚いたが、促されるままウサギにまたがりツノをしっかと握った。
ザンっと音をたて、巨体になったウサギは木の枝を弾きながら雑木林を飛び進んだ。
「ヤガミヒメの家まで30分ほどね。ヤガミさん家では、とりあえず宴席で歓迎するでしょ、八十神兄さん達には夕刻まで離れで待機してもらってるはず」
「夕刻ならまだ時間はあるな」
「ええ、でも、八十神兄さん達が離れにいる隙に、彼らの悪行とクニちゃんの善行を伝えて、宴席スタート時に、ヤガミヒメさんの口から旦那になる人の名前を発表してもらうのがベストだから」
「うー、兄さんたちの怒髪天の顔が浮かぶ……ってかさっきから小枝が顔にバンバン当たって痛いんだけど……」
「求婚を断られた八十神一行が暴れ出した場合に備えて警護をね。本土にいたウサギ一族はもう集まっているはずだけど、10匹いるかなぁ。だから、ちゃんと綿密に作戦たてないとね。わかるでしょ、小枝くらい我慢して。急ぎますよ」
「なんか雑な扱いだなぁ。一応これでもあのおっかねースサノオ神の子孫なんだけど、俺」
「なんか言った?」
「いや、何も……」
「……スサノオさんは子孫を大事にするとかあんまないでしょ。なんなら孫だっていじめて遊ぶくらいのもんでしょ、あの神様」
「聞こえてんじゃん。確かに。怖ーんだよ、あの人」
「ははは。あー、疲れてきたなぁ。この技疲れるんだよねぇ。もう着いたも同然だし、一休みする?」
「お前さぁ、悪い癖だよ。それ」
「それ……って?」
「ゴールが近づくと気を抜くクセ。それでサメにやられたんだろ」
「あー、確かに」
「その気を抜くクセ直した方がいいって。終わりよければ全てよしって言うじゃん。逆に終わりがダメなら、全てダメってことでしょ」
「わかりましたよ。急ぎますよ。そういや、有終の美って言うじゃないすか? あれ、物事ってのは、ラストまでやり遂げてうまい結果を迎えられるなんてことは、少ないよって意味が入ってるらしいですよ」
「だから?」
「最後で失敗するのは当たり前というか、あんまり期待すんなというか……」
「どうでもいいから、休んでないで走れよ。だいたいお前が急ぎたいって言ったんじゃん」
「はいはいー」
館に到着
程なく到着し門前で変化を解いたウサギ。
「後で迎えをよこすから、ちょっとここで大人しくしといて」
「え、ここで?」。大国主命が戸惑っていると、ウサギは人間の姿に変身した。
「おっと、忘れるとこだった。これ渡しておくね」
ウサギは美しい装飾が施された指輪を取り出した。
「これは?」
「捨てた荷物からぬいといた。求婚するのに手ぶらじゃね」
「あ、ああ……」
「じゃ、後でね」
ウサギは裏口へと周り邸内に侵入した。一方、大国主命は、門の脇で迎えを待っていたが、中を覗くと兄の一人が歩いているのが見えた。「すんごい怒ってるんだろうなぁ」。どうしても八十神達が気になり、少しくらいならと、八十神が待機しているはずの離れをさがすことにした。見かけた兄の後ろをついて行くと、庭の外れ小さな池を眼前にした小綺麗な建物に入って行くのが見えた。(ここか?)静かに建物へ近づいていくと、怒号が飛び交っているのが聞こえてきた。
「荷物まだかよっ」
「着替えどうすんだ〜」
「あいつ遅すぎ!」
「宴会、この服じゃ無理〜」
「きたらぶちのめす、あのガキ!」
(やばっ)
大国主命は顔を引き攣らせながら建物から静かに離れ、門へ戻ろうと歩いていると、豪奢な庭を挟んだ向こう側の障子にウサギらしき影が写っているのを見つけた。
(間違いないあの影はウサギだ)。大国主命はウサギがいるであろう部屋へ向かった。障子越しにウサギに声をかけようとした、その瞬間、廊下の向こうから、邸宅の女性スタッフが声をかけた。
「あれ、もしかして大国主命さん?」
「えっ!?」
「お兄さん達、すんごい待ってますよ、早く行ってあげてください、とりあえず着いたこと伝えてきますね〜」
「えっ、あっ……」(行ってしまった。どうしよう……)。同時に障子が開いてウサギが顔を出した。
「あ、大国主命さんですね」
「え、あれ、君はウサギでは……ない? いやウサギだけど……」
「初めまして。私、一族のものです。三郎と言います。まぁ入ってください」
出会い
中に入ると、8畳の部屋には6羽のウサギがいた。
三郎は若いウサギに「アニキとヤガミヒメさん、呼んできてくれ」と声をかけた。一番若そうなウサギがサッと部屋を出た。
「話はアニキから聞いてます。今日は安心して求婚してください」
「はぁ……。それよりうちの兄さん達、すんごい怒ってて、俺ヤバいんだけど……」
「八十神さんたちですね。これからもっと怒ることが始まるんですからいいじゃないですか」
「いやー、でも、あのー、あのね、兄さんたちの荷物、俺が運んでたのね。全部。でもウサギ……、アニキウサギかな、が海に捨てちゃったのね。んで困っちゃてるんだけど……」
「うーん、まぁいいんじゃないですか。放っておいて」
「いや、怖いんだって兄さん達、怒ると何するかわかんないんだから」
「まぁまぁ、あ、ちなみに大国主命さんと一緒にいたの、私たちはアニキって呼んでますけど本名は弁次郎です。ベンちゃんって呼んであげてください」
「ベンちゃんねぇ……。もしかして君は三郎だからサブちゃん?」大国主命は三郎ウサギを指しながら聞いた。
「はい、それで構いません。私もクニちゃんって呼んでいいですか?」
「えっ、まぁ、構わないけど」
「じゃあ、クニちゃん、もう、兄さん達とは縁を切るつもりでいてくださいね。今日限りで……」
その時、障子が開き、ウサギの顔に人間の身体という奇妙な姿になっている弁次郎ウサギとヤガミヒメが入ってきた。大国主命は弁次郎ウサギに声をかけようとしたが、ふと目に入ったヤガミヒメの美しさに見惚れ、言葉を失ってしまった。
「クニちゃん、見過ぎ」。弁次郎ウサギが笑いながら言った。大国主命は床に視線を落としながら顔を赤らめた。
「早速で悪いけど、今日の作戦、説明するね」
「アニキ、その前に、クニちゃんに姫を紹介しないと」
三郎ウサギに促された弁次郎ウサギ。
「あ、そうね。クニちゃん、このお方がヤガミヒメ、あんたのお嫁さんになる人。姫、こちらが大国主命、通称クニちゃん。姫の旦那さんね」
「え、いや、まだ決まったわけでは……」
大国主命が言いかけるとヤガミヒメが口を開き、あいさつを絞り出した。
「お、大国主命さま、は、初めてお目にかかります。八上比売と申します。本日は何卒……」
消え入りそうな小声。
「……は、初めまして」
「……」
「…………」
大国主命はチラチラとヤガミヒメを上目で覗き見しながら、その美しさに圧倒されていた。細く伸びた指、ほんのり赤みがかかった頬は化粧なのか。見つめると吸い込まれそうな大きく濁りのない瞳、長いまつ毛、すうっと通った鼻筋、遠慮がちながらぷっくりとした唇、透き通った白い肌と黒髪のコントラストが印象的。噂に違わぬ美しさ。(この人と契るのか……)。
それっきり言葉を交わさなくなった二人。見かねた三郎ウサギは場を取り繕うように口を開いた。「アニキ、クニちゃんに、アニキのことベンちゃんって呼んでって言っちゃったんだけど、いいよね」
「ああ、もちろん。クニちゃん、ベンちゃんっていうかベンって呼んでくれよ、姫ももう結婚確定なんだから、大国主命さまじゃ堅苦しいからクニさんとか呼べば?」
「そ、そんなっ」と呟きながら、ブンブンと首を振る姫。
「あの……、私、男の人と話すの苦手で……」
「ほら、クニちゃん、リードしてあげないと」
「いやぁ、その、ねぇ……」
しきりに照れる大国主命の声をかき消すかのように、にわかに外が騒がしくなった。
ドタドタと沢山の足音とともに怒号が響いている。
「どこだ〜!」
「いるなら返事しろー!」
どうやら八十神達が、大国主命を探し回っているようだ。
「お客さま、困ります」。館のスッタフの必死な声が混じっている。
「うるさいっ! クニ! いるんだろ! どこだー!!」
「離れにお戻りくださいー!」
騒ぎを耳にしたウサギ達はスッと立ち上がった。大国主命は慌てふためき、
「ベン、やばいよ、荷物捨てたのバレたら何されるか……」
「とにかく、宴を始めてもらおう」ベンウサギは大国主命を正面に見据えた。
「いいかいクニちゃん、宴席で八十神達全員がヤガミヒメにフラれる。そしてクニちゃんがこの絶世の美女をモノにするんだ。荷物なんかよりもっと大変な事態になるはずだ。乱暴者の兄弟全員を敵に回して姫と結婚する。腹を括れ! 己を守れ! 姫を守れ!」
「……」大国主命は深く息を吸って落ち着きを取り戻した。スッと立ち上がりヤガミヒメからベンウサギに視線を移して、小さくしかしはっきりと言った。
「ベン、頼む、力を貸してくれ」
「わかってる」
再びヤガミヒメに視線を戻した大国主命。ぐいっと一歩近づき「姫、終わったら食事しましょう」
「あ、はい……」。
照れてうつむいたヤガミヒメ。ベンはニヤリとしながら、
「クニちゃんは三郎が呼ぶまで宴会場の外で隠れてまってて。姫、じゃあ段取りどおりお願いしますね」
「はい、わかりました。では……」
ヤガミヒメは大国主命に一礼しベンと部屋を出た。
「クニちゃんは、私と」
三郎ウサギは、スゥッと深く息を吸い、二本足で立ち上がると同時に人間の姿に変化した。
「さぁ行きましょう」
二人は宴会場に急いだ。
ただいま準備中
「宴たけなわで求婚の儀が始まって、八十神が順番に求婚、姫がいちいち是非を答えるってのが、元々の段取り。で、おそらく長兄が最後に求婚して姫の了承を得るってのが、八十神達のシナリオのはず」
三郎ウサギと大国主命は小走りに会場に向かっていた。
「で、こちらの計画はこう。宴開始直後に姫が挨拶して、招いていた賓客を入場させる。隣国のお偉いさんやら、スサノオさんの親戚とかね。揃ったとこで、姫がクニちゃんと自分との結婚に集まってくれてありがとうと結婚宣言。八十神が呆気に取られたところで、アニキが出ていって、八十神に受けた仕打ちとクニちゃんへの感謝を述べる。で、クニちゃん登場、結婚式が始まるという段取り」
「なるほど、お偉いさんが並んでるから、兄さん達も暴れにくいだろうし、万一の時にはウサギ達の出番というわけね」
会場に着いた二人。
「そういうこと。で、登場前に八十神に見つかるとヤバいから、隠れててほしんだけど、隠れる場所ないなぁ……」
「早くしないと……」
「しょうがない、こっちに来て」
三郎ウサギは、大国主命を正面に立たせ右手を肩に置いて深く息を吸った。小さく呪文を唱えると大国主命の身体は肩から段々と透き通っていった。
「とりあえず、10分はもつはず。見えなくはなってるけど、存在が消えたわけじゃないから人とぶつかったりしなように隅っこでじっとしててね」
「わかった」。透明になった大国主命は飾ってあった高級そうな壺の横に立った。
「じゃ、後で呼ぶからね」三郎ウサギは会場へ入っていった。
(続)